コラム・エッセイ
(83)パセリの花
続々周南新百景 / 再 周南新百景 佐森芳夫(画家)パセリに花が咲いた。本来であれば、パセリを長持ちさせるために花が咲かないように手入れをするべきであろうが、気付いた時にはこの有様であった。仕方がないので、花を楽しんだ後で種でも取ることにしよう。
どうせ十分な手入れをしたところで、2年草であるパセリは遅かれ早かれ枯れる運命にある。などと、取り組み姿勢のいい加減さを棚に上げるなど責任逃れをするところは、世の中にもあふれかえるほどの例がある。
それで問題が解決するわけでも、責任から逃れられるわけでもないことは極めて明確である。多少大げさに言えば、自分の行いが自分に返ってくるという意味では「自業自得」の言葉がぴったりとくるような気がする。
それらとは関係なく、パセリの花は地味ではあるが意外にも美しい。その姿は、色に違いがあるものの線香花火によく似ている。最近ではすっかり見なくなったが、昔懐かしい夏の風景の一つとして忘れてはいない。
打ち上げ花火のような派手さはないが、線香花火には深い味わいがある。あっという間に消え落ちるように見えても、線香花火には4っの変化があるという。それが蕾であり、牡丹であり、松葉であり、散り菊である。
蕾(つぼみ)とは、花火に点火したときにできる火の玉が蕾に見えるからであり、やがて火花が散り始めると牡丹(ぼたん)になる。さらに激しさが増して松葉(まつば)となり、ついには散り菊となって光を失っていく。
それを当てはめると、今のパセリの花の状態は火花が四方に飛び散っているように見えているところから、牡丹の段階にあるといえるであろう。やがて、小さな花のすべてが咲きそろうと見ごたえのある松葉となる。
その花を料理に飾りつけると高級感が増してくる。それだけではなく、パセリの花は食べることができるらしい。今まで一度も挑戦したことはないが、その味は、キアゲハの幼虫を見るまでもなく明らかであろう。
