コラム・エッセイ
(86)海を渡る神輿
続々周南新百景 / 再 周南新百景 佐森芳夫(画家)7月23日(日)、周南市の粭島(すくもじま)で、貴船(貴布祢)神社の夏祭りが行われた。新型コロナウイルス感染症の影響などで4年ぶりの開催であったが、狭い島内は再開を待ちわびた多くの見物客で一杯になった。
貴船祭の特徴は、御旅所までの行路が陸上ではなく海上となっているところであろう。この祭りについては、境内の案内板によれば、海上安全を祈願して慶安年間(1648〜1651年頃)始まったと伝えられたとされている。
わざわざ海を渡って御旅所に渡御(とぎょ)する理由については、海上安全を祈願する目的以外は不明である。素人ながら気になるところではあるが、今さら、あれこれと詮索することは無駄なことなのかもしれない。
白装束を着た担ぎ手によって金色に輝く神輿(みこし)が、海に入っていく。そして、約500メートル離れた場所にある御旅所に向かって海の中をゆっくりと進む。陸上であればさほど時間はかからないが、海上では仕方ない。
その神輿の近くを、船頭や踊り手、漕ぎ手などを乗せた伝馬船が「ホーランエー」の掛け声とともに並走する。その「ホーランエー」の掛け声の中の「ホーラン」が何を意味しているかについては諸説あるらしい。
網など物を投げる「放(ほう)る」が変化したとする説や、「ほーら」といった投げるときの呼びかけなどの説がある。いづれも身近な動作や行動に関係するものであり、掛け声の意味としては納得できるものである。
その一方で、「ホーラン」は「ホーライ」に由来するという説もある。「ホーライ」を古語辞典(旺文社)で調べてみると、「蓬莱山の略」と記されている。そして「蓬莱山」は、「はるか東方の海中にあり」という。
それが海を渡る理由の一つであろうか。さらに、平家物語灌頂巻の「長寿不老の術を願ひ、蓬莱不死の薬を訪ねても」の一節や、鉢巻きなどに見られる紋様の紅色からは、秘められた歴史の面影が浮かび上がってくる。
