コラム・エッセイ
No.05 8月22日(土)②
〜ベトナム一人旅の記録〜 医療と福祉の国際協力の原点を求めて 記者・NPO国際ボランティアIMAYA理事 山上達也フンさん、岩本理事長夫人の逝去に哀悼の意
ベトナム中部の大都市、フエ市の中心街に構えるゴ・バ・フンさん(42)の補聴器店は盛況で、筆者がいる間もお客さんが入れ代わり立ち代わり訪れた。
フンさんはまず、IMAYAの岩本功理事長(85)の妻、典子さんが逝去したことへ哀悼の意を捧げた。典子さんは昨年10月に功さんと一緒にベトナムを訪れたが、帰国後の11月4日に78歳で亡くなった。
生前の典子さんは薬剤師として功さんとともにベトナムの医療支援に熱心に取り組み、医学生や薬学生、歯学生へのIMAYA会員からの奨学金も提唱した。
フンさんが「わが家に来ませんか」と話しかける。聞けばフンさんの次男が医師を目指しているという。
フンさんの家は、フエ市内を流れるフォン川のほとりの鉄筋コンクリート2階建て。ここに3世代8人が暮らしている。
医師が夢の10歳の次男に「くだまる」贈る
フンさんの長男は調理師が夢だ。次男は医師、三男は科学者になりたいという。次男に「なぜ医師になりたいの?」と聞くと、「病気で困っている人を助けたいから」と明快。まだ10歳だが、大学の医学部に進めばIMAYAの奨学生に推薦したい気持ちになった。
フンさん宅では下松から持参した市公式マスコットキャラクターの「くだまる」のぬいぐるみをプレゼントした。ぬいぐるみのデザインを見た子どもたちから「この橋は何?」▽「この魚は?」▽「これは松?」などと質問攻めに遭った。
帰りにフンさんは筆者に「岩本先生に渡してください」とお土産のロータスティー(蓮花茶)とフンさん一家の家族写真を託した。家族写真は「私の人生に大きな羅針盤をいただいた岩本先生ヘの感謝の気持ち」という。IMAYAのカウンターパートのフエ医科薬科大学のOGCDC(遺伝カウンセリング・障害児支援センター)のスタッフ時代からの岩本理事長とのきずなは不変と感じた。
大洪水でも冠水しなかったイオンモールフエ
フンさんと大衆食堂でフエ名物のめん料理「ブン・ボー・フエ」を一緒に食べた。フォーの一種だが、牛肉とレモングラスが香るピリ辛のおいしさが何とも言えない。
再会を約束してフンさんと別れ、フエ最大のショッピングモール「イオンモールフエ」に行ってみた。
日本資本のイオンモールはハノイ、ホーチミンなどベトナム全土で10店舗を展開。イオンモールフエは昨年秋の大洪水で周辺が完全に冠水した中、敷地のかさ上げ設計のおかげで全く冠水しなかった。駐車場を避難所に無料開放し、電気、水道、Wi-Fiなどの生活インフラを提供でき、現地当局や地域住民から大きな信頼を得た。
店内は広く、1階フロアでは「フエダンスフェスティバル」を開いていた。フードコートに「MARUKAME UDON」の看板の丸亀製麺の店があり、肉うどんを食べたが日本の味と全く同じだった。
ホテルへの帰路、フエ中央郵便局から日本の友人あてに残暑見舞いのはがきをエアメールで差し出したが、日本に届いたのは1カ月後だった。
フンさん(右端)と「くだまる」を持つ次男(左から2人目)ら家族
イオンモールフエで開かれたダンススポーツフェスティバル
