コラム・エッセイ
7月豪雨から思うこと① ~嘘のようだが本当の話
おじさんも頑張る!~山の話あれこれ~ 吉安輝修コロナの話題は巷にあふれているので、敢えて「おじさんも頑張る!」の話題にせずに、山歩きの話などを呑気に書いていた。ところが、このコロナ禍の最中に、九州を中心にして甚大な豪雨被害が出た。1週間以上が経つが、亡くなった方、行方不明者も日々増えていく。避難所生活を余儀なくされている方は数千人にのぼり、浸水した家屋は1万棟を超えるという。被災地域の道路や電力、通信といったインフラの途絶もあって、実のところ、孤立した集落の状況も含めて被害の全体像も未だ正確につかめきれてないともいう。
熊本、福岡両県の被災は突出しているが、まずは御身大切だ。他県の様子など身内でも暮らしていれば大いに気にするが、新聞の片隅をよくよく眺めてみると信州の被害もはなはだしく、お隣の四国や山陰などの土砂災害は他人事ではない。もはや気まぐれの前線の居場所次第では、日本全国いつどこで同じように被災するか分からないというのが現実のようだ。
雨が降る度に、かつて経験したことがないとか、数十年に一度などと、毎年の季節の便りのように聞けば大して驚くこともなくなった。なんでも遠くインド洋の海水温が高いからだというが、もはや主因が地球温暖化ということに反論などできまい。自然と共生し長い年月をかけて作り上げ、体に染みついていた季節感や、それをもとに暮らしていく歳時記といったようなものは通用しなくなった。今に始まったことではないが、やはり節度を忘れた暮らし方をしてきた我々にこそ責任がある。自虐的になる必要などなく、人類の英知で必ず新しい対策技術を開発するので心配に及ばない…などの意見もあるが、その間にも気候変動は加速度的に進む。
近辺では、連日の雨で地盤が緩むためか倒木や落石といった情報もちらほらと入るが、今のところ(14日現在)家屋の浸水といった大きな被害はない。ただ、ここ須金に至る唯一の幹線道路、国道434号線が菅野ダム付近で通行止めとなり、復旧の見通しも立っていない。何とか中須に迂回して市内に出られるものの、こちらも先日来の雨で片車線をふさぎ危ういのも確かだ。
それと、須金を貫く錦川は上流で降った雨を集めて増水し、普段は穏やかなせせらぎが一変して濁流となる。上流にある菅野ダムが洪水調節をしてくれていると信じたいが、近年はダムの緊急放流で下流域に被害が出たこともあり、信じ切ることはできない。大雨の中、川の水位を確認するために傘を差し、懐中電灯を照らして橋脚の目盛りを見に行く人も多い。川沿いに建つ家の人は、家の裏から懐中電灯を照らして水位を確認されるのだろうか、サーチライトの光が交差するかのように何本かの光が宙を舞うこともある。世はITだAIだというが、ここには水位計もなく、未だに原始人のように夜な夜な川の流れを見に行くしかない。嘘のようだが本当の話だ。
須金に至る唯一の幹線道路、国道434号線が菅野ダム 付近で通行止めとなった
普段は穏やかなせせらぎが一変して濁流となる
水位計もなく、原始人のように 夜な夜な川の流れを見に行くしかない
