コラム・エッセイ
親不知を目指す⑮ 「身勝手でひとりよがりな人間」
おじさんも頑張る!~山の話あれこれ~ 吉安輝修視界はせいぜい数十メートルだが、非常によく整備された登山道(遊歩道)に全く不安はない。よそ見でもして転んでしまえばケガもあろうが、普通に歩く限りはそんな心配は無用だ。現在地を知るには要所に建つ大きなケルン(石を積み上げた道標)が目標となる。とりわけ多くのハイカーが目指す八方池あたりまでは、こうしたケルンや道標などがうるさいほど整備されていて、山歩きなど全くの未経験者でも迷うようなことはないはずだ。
もちろん悪天候で体を濡らしてしまえば辛い思いをすることになるが、きょうはガスで視界こそ悪いものの、たいして風もない。往復のリフト代うん千円払った多くのハイカーや観光客は八方池からの大展望に一縷の望みを持っているのだろう。
中にはスカート姿もあり、一瞬ここが標高2千メートルの山上ということを忘れ、なんだか下界の観光地を歩いているような錯覚をする。大荷物を背負ったむさくるしい年寄りなど、どうも場違いに思える。
全く展望のない八方池周辺には多くの人がいるようで、登ってくる人、下る人の姿は途切れない。でも、ここを過ぎれば極端に人の姿が減り、ようやく体も慣れてマイペースで歩けるようになった。
お昼前の時間帯は、すぐ上の唐松岳の小屋から下る人は早々に通り過ぎているだろうし、五竜岳方面から縦走して下るにはちょっと早すぎる。今はちょうど登山者が途切れる時間帯のようだ。
ちょっとラッキーだ。メジャーな山域では、季節や日によって都会並みの人出の中を歩くこともあるが、そんな状況に身を置くことが残念でしかたない。せっかく山に来てあまりに人が多いと、ちょっぴり後悔して回れ右をしたくなる時もある。できることなら山では可能な限り人に会いたくない。自分だけの世界に浸っていたい。
周囲は急に静寂となり、自分の息遣いと地面を踏みしめる音しか聞こえない。この感覚がたまらない。ガスの中から時折下ってくる人が現れたり、先行する人を追い抜くこともある。こんな時は神経もある意味で研ぎ澄まされていて、靴音や話し声を先に察知していることも多く驚くこともない。
山で誰にも出会わず、たった一人というのは寂しくないか?恐ろしくないか?と問われることがある。正直なところ人に出会うほうが残念だ。熊に出会うのはちょっと勘弁だが、一人だけの世界観にどっぷりと浸かりたい。
単独行と決めた山に関してはことさらで、自分と山を静かに対峙させるのが良い。大勢で歩くことも多いが、やっぱり独り歩きが一番だ。もうおわかりだろう。要するに協調性、社会性のない身勝手でひとりよがりな人間ということだ。
歩き出して1時間。なんとなくガスも薄くなって明るくなってきた。上部は晴れているようだ。この期におよんで頭の片隅では2時間の遅れを何とか取り戻せないかと思案する。歩くペースは落とさない。
スカート姿もあり、標高2千㍍の山上ということを忘れる
八方池からは晴れていれば絶景を堪能できるが…
ガスも薄くなって明るくなってきた。遅れを取り戻せないか
