コラム・エッセイ
「親不知を目指す」③「日本アルプスの起点」
おじさんも頑張る!~山の話あれこれ~ 吉安輝修北アルプスの主脈とは南は西穂高岳を起点(終点)にし、ほぼ真北に向けて130キロ歩いた先の日本海、親不知海岸(新潟県)が終点(起点)となる。これは、明治時代に日本にやって来た登山家でもあるイギリス人宣教師ウォルター・ウエストンが、著書『日本アルプスの登山と探検』で親不知が日本アルプスの起点だと紹介したのが発端で、定説になっている。
そもそも当時の日本には登山という概念も確立されておらず、趣味で山に登ることは無かった。日本アルプスという呼び名もない。もちろん、この長大な稜線の一部には信仰登山や猟師の歩く道、険しいけれど近道になるという理由で山越えの峠道はあったと思うが、あくまで生活のためであり、登山が目的の登山道などある筈もない。
ところが、明治以降に日本にも趣味(スポーツ)としての登山が普及しはじめ、登山道も少しずつ延び、登山客相手の山小屋なども建ち始めてそれらをつなぐ道も開削されていった。いうならば登山客に宿泊や休憩、ガイド、物品販売、避難先といった便宜を図る仕事が定着し、登山道も観光インフラとして開発されたと言っても大きな間違いではないと思う。だから、絶景とか見晴らしが良いところ、一般的な登山者でも歩けるところから道は延びていったはずだ。
まあ、この類の話は大好きなのでぼちぼちと紹介するとして、百数十年も前にウエストンが日本アルプスの起点と言った親不知海岸だが、朝日岳以北の約30キロにやっと縦走路が開通したのは半世紀前の1971年で、前回、前々回この紙面で書いた「栂海新道」ということになる。
それまでは積雪期でもなければ歩くことは不可能に近かったはずだ。何よりも北アルプスの3千メートルの高嶺を目指す登路としてはあまりにも遠大だし、海抜0メートルからでは標高差が大きすぎる。それに低標高では地味に樹林の中で眺望など全く期待できない。そうなると、いくらウエストンが起点だといっても玄関口には不向きというのもわかる。
こうして我々一般の登山者が、北アルプスの縦走の果てに日本海にタッチするなどといった夢を見られるのも、「栂海新道」あってのことであり、その伐開の辛苦は並大抵でなかったことは、裏山の草刈りでさえねをあげる体験をする身で想像に難くない。しかも無報酬はおろか、持ち出しまでして開通させたというから手を合わせて歩かせてもらうだけの値打ちはある。
それに観光インフラとしての登山道は、登山者が楽で歩きやすいところを選んである。何しろ山小屋に来てもらってなんぼの道だから、名も無いピークは山腹を巻いて出来るだけアップダウンが少なくしてあるが、「栂海新道」は純粋な登山道(縦走路)なので忠実に稜線の真上につけられているというから脱帽ものだ。ウエストンもようやく面目躍如か。ちなみに、「栂海新道」開通後に親不知にウエストン像が設置され、毎年7月に「海のウエストン祭」が開催されているという。
西穂高山頂から北アルプス主脈を望む =親不知は100㎞以上先だ
登山者が楽で歩きやすいように名も無 いピークは山腹を巻いて出来るだけア ップダウンが少なくしてある
「栂海新道」開通後に親不知にウ エストン像が設置されたウエス トンもようやく面目躍如か
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