コラム・エッセイ
「親不知を目指す」④ 「重要な支度」
おじさんも頑張る!~山の話あれこれ~ 吉安輝修北アルプスの主脈を通して歩こうと決め、いよいよその一歩を踏み出したのは今から5年前の2015年9月のことだ。以前この紙面で長々と顛(てん)末を披露したが、ちょっとおさらいを。
終着点を日本海の親不知にするならば、起点である西穂高岳から真っすぐに北上するのが本来で、例え途中で下ったとしても、次にそこから歩き出せばよいのでスッキリする。
もちろんそのつもりで計画をしていたのだが、所属する山岳会で当時事務局長だったMさんが、秋に還暦祝いを白馬村のペンションでやるので来ないか?と誘われた。「ちなみに酒は飲み放題だからね!」とのこと。これがいけなかった。慎重にあれこれ検討していたが、その一言で後先考えずにほぼ一瞬で出席表明をしてしまった。
それに連動して入山口は白馬村となり、八方尾根を登って唐松岳が縦走の起点となる。北アルプス主脈の全長からみると、唐松岳はざっくりと南から7分。北から3分で、どちらかと言えば終盤の部に位置する。ちょっとストーリー性に欠けるが、飲み放題〜の誘惑には勝てずに「まあ、それでも最終的に全部歩けば同じことか…」と無理に納得。
ということで、唐松岳から南に向けて歩き出し、悪天候に翻弄されながらも山中で6泊し、槍ヶ岳を眼前にした双六岳を縦走最後のピークとして終えた。
もう1泊すれば西穂高岳まで歩けるが、下山後にさらに後泊となると10日も家を空けることになる。それでなくても家族争議が絶えない中を飛び出している身では、閉め出される可能性が限りなく高い。少々残念ではあるが、後々のことも考え、この先は何度も歩いているのでよしとした。
翌年、いよいよ親不知だと準備を進めていたが都合がつかない。その次の年も、さらに翌年も。年々落ちる体力に焦りも感じながら、野暮用はじめ天候の関係で決行に至らずにいた。それでも来年こそはとチャンスをうかがっていた。
そして昨年(2019年)綱渡り的なスケジュール調整をして何とか目途がつきそうだ。少々ハードな計画で山中3泊、予備日を一日とした。それでも麓に前泊。下山しての1泊が必要で6泊7日の長丁場となり、それなりの準備が必要だ。
今回も山中はテント泊とし、衣食住の全てを背負っていく。当然、多少の快適性を犠牲にし、装備の厳選と軽量化に努めるが、9月の中旬以降の標高3,000メートルを超える稜線上は、下界は夏日でも氷点下になることもあるし、雪が降ることだってある。年々手足の抹消の「血の巡りが悪くなる」ことを嫌でも実感し、寒さ対策だけは怠ることが出来ない。
もう一つの準備がある。可能なら夜逃げのようにコソコソせずに穏やかな状態で家を出たい。山行の言い訳にも頭と神経を使い、ひと月前からは意識して頼まれた雑用を無言でこなし、普段の会話も波風を立てぬよう、返答に否定的な単語が入らないよう特段の注意を払う。これも重要な支度だ。
Mさん還暦祝い=飲み放題の一言で…
八方尾根の登りで、これから歩く五竜岳、鹿 島槍ヶ岳を望む
槍ヶ岳を眼前にした双六岳を縦走最後の ピークとして終えた
