コラム・エッセイ
「親不知を目指す」②「体がゆーことをきくうちに…」
おじさんも頑張る!~山の話あれこれ~ 吉安輝修若い時は、一度思い込んだら他のことは何も目に入らないし、周りから何を言われても聞く耳を持たない。やってみたいことがあれば明けても暮れてもそのことばかり。欲しいものがあればカタログを丸暗記するほど眺め、連日でもショーウインドウに額をこすりつける。そのくらい熱くなり思いは一途だ。
ところが、冷めるのも早かった。あれだけ熱中していたのに何年か経つと、まるで関心がなくなっていて、全く別ジャンルに目が向いている。
今にして思えば、若い時から一つのことに脇目も振らずにとことん取り組んで極めておけば、今とはまた違った人生があったかもしれないとも思うが、冷静に考えてみれば根っからの「のーくれ者」で「根性無し」は自他ともに認めるところで、夢は夢で終わって結局は挫折を繰り返してきた今の人生に行き着くのは明白だ。
でも、まあ、いろんなことに夢中になれた時間があったことに損はしていない気がする。人生訓を語るほどの実績も何もないが、どんなことにでも、とことん熱中してみるのも悪くはないかもな…。この歳になって思うようになった。
前回、半世紀前に「山族野郎の青春」を読んで感動し、いつかは3,000メートルの北アルプスの峰から、栂海新道を歩いて親不知海岸に降り、日本海の海水にタッチしたいと思い続けていたことを書いた。ところが、北アルプスに足を運ぶ機会は何度もあったのに、穂高の峰々や槍ヶ岳といった有名どころに目が向いてしまう。今度はあのルート、次はこのルートだと、地図に赤線を引きながら少々難度を上げた山歩きに挑戦していた。
暫時、親不知への優先順位は下げていたのは確かだ。しかし、身辺の終活も待ったなしの歳になり、山の終わりかたも考えなくてはならない。大先輩諸氏からは「体がゆーことをきくうちに、やりたいことをやっちょかんにゃ、つまらんでよ…」と、ご教示を受けることも多い。全くその通りだと素直に思える。
数年前、物置で雑誌『山と渓谷』1972年9月号を全身ホコリまみれになり、小一時間もかけて探し出した。「山族野郎の青春」が出版された翌年の発行で、「特派レポ 北ア・栂海新道を行く」という特集記事が載っている。まだ山に一生懸命だったころ、夢中になって何度も読み返し、いつかは栂海新道にとの想いを募らせた。捨てるに捨てられず物置にしまっていた大事な一冊だ。
数十年ぶりにちょっと黄みがかったページをめくりながら、懐かしさと同時に、当時の一途に山を想う純粋だった?頃の気概がふつふつと蘇ってきた。
よし、もう待ったなしだ。親不知を目指そう。少年だったころの熱い思いをいよいよ実現させるぞ!ホコリまみれになりながら誓った。
ただ、どんなゴールのしかたをするかだ。同じやるなら北アルプスの主脈を全部歩いて、最後の仕上げが親不知というのが良い。ざっくり130キロはある。
少々難度を上げた山歩きに挑戦 =奥穂高ジャンダルム直登
捨てるに捨てられない大事な一冊
当時の一途に山を想う純粋だった?頃の気概が蘇る
