コラム・エッセイ
山なんて嫌いだった②「山はつまらん!」
おじさんも頑張る!~山の話あれこれ~ 吉安輝修昨今は「山(林業)はつまらん!」というのが定説になっている。確かに木材価格が低迷し、半世紀前の何分の一だ。かつては杉丸太が立米(1立方メートル)あたり3万円以上で取引されていたが、それが今は1万円というのが相場だ。これでは小面積の山林では業者に伐採して出荷まで依頼したら赤字になる。だから山は放置され荒れるにまかせているのが今の日本の林業の現実だ。
それでも山の木を切る現場を目にするが、傾斜が緩く一まとまりのかなりの面積と現場に隣接する搬出できる道路があるなどの好条件がそろっているからだ。
山林で2反とか3反(1反=300坪、10アール)というレベルでは見向きもされず、相続では関係者が押し付け合いの“争続”になるという話も聞く。
先日のことだ。県道の改良工事をするので地権関係者は現地に集まってくれという連絡があった。ひょっとして道路用地に引っかかれば若干でも補償が入って小遣いになるかもと期待しながら行った。結果は隣接地ということで境界の確認だけだったが、その際に隣の地権者が「ただでもいいからうちの山を貰ってくれないか」と話しかけられた。
昔の畑跡で土が肥えて木が良く太っていると、盛んに営業されたが、面積は1反にも満たず、搬出する道路まで他人の土地をまたぐという条件ではとてもではないが首を立てに振れない。帰る間際まで金は1円も要らないのだが…と迫られたが、金や銀の鉱脈でも埋まっていれば別として、熊やイノシシの棲家のような山奥となれば到底無理な話だ。
昔々、嫌々ながら山でおさわり程度の杉シゴをさせられて多少の苦労はわかるつもりだが、先人達が植林するまでの地拵え(じごしらえ)や、急傾斜地に苗木を背負って登り、クワで一本一本植え付け、炎天下の下刈り作業などの重労働とぼう大な手間を投下してきたのは事実だ。その山が二束三文いやそれ以下に扱われるのが何とも悲しくなる。
実は昨年の暮れから山に通って杉を伐採している。目的は倒木やツルで足を踏み入れるのが恐ろしいような荒れに荒れた山をきれいにし、かつての里山の風景を取り戻したいという、いたってノスタルジックな発想からだ。
確かに「山はつまらん!」が、丸太もタダではない。業者に頼まずに自分で伐採して丸太を出荷するのなら多少は黒字になるかもしれないと手を付けた。が、要領の悪さが主因だろうが現実は厳しいのを体感している最中だ。
手持ちのチェンソーや小型のユンボだけで何とかなると思っていたがとんでもない。作業道をつけて倒した木を造材(規定の長さに切る)場所まで引っ張り出さないことには非効率極まりない。
結局リースで大きな機械を借りたが、それなりの料金と燃料代もかかる。寒いから休み、雪が降るから休みではリース屋だけが儲けることになる。今さら万歳するわけにはいかない。今までこれほどコスト意識を持って仕事をしたことがあっただろうか?

山は放置されて荒れるにまかせているのが今の日本の林業の現実だ

リースで大きな機械を借りたが、それなりの料金と燃料代がかかる

雪の日でも出荷=寒いから休み、雪が降るから休みではリース屋だけが儲けることになる
