コラム・エッセイ
祖母〜傾山縦走記㊲ 《いろんな登山者がいるもんだ》
おじさんも頑張る!~山の話あれこれ~ 吉安輝修とうとうカレンダーが12月になった。この『祖母〜傾山縦走記』もあっちこっちに寄り道をするので1年近く経ったがなかなか終わらない。年寄りの思い出話をダラダラと書き続けても仕方がないので、ぼちぼちとまとめに入らなくてはならないと思う。
グローバリゼーションだ、IoTだと世は国境や時差を超えた動きが当たり前になりつつあるが、片意地を張ってそれらに抗う身ではやっぱり節季が文字通り節目となる。とりわけ“盆〟と“暮れ〟は、今では死語となった「盆暮勘定」の清算月となる。あちこちの商店で日々の買い物をツケで済ませていると一斉に催促が来るので金策に頭を悩まし走り回る。盆を何とかやり過ごしても暮れだけは「師走」というくらいだから逃げようがない。“暮れ〟とはそのくらいにものごとのケジメをつけなければならない時節なのだ。
とはいうものの、山歩きとは頂上さえ踏めば良いというものではなく、計画や準備の段階から無事に下山するまでの一連の過程にこそ値打ちがあると信じている。よってこの話題の顛末ももう少しお付き合い頂きたい。次回で終わる予定でいるのだが…。
貸し切りと信じて疑わなかった九折避難小屋だが、いよいよ夕食も出来上がり、口に運ぼうと思ったところでいきなり入り口の戸が開いた。大きなザックを背負ったおじさんが入ってきてお互いがびっくりした瞬間だ。こっちは日没も間近に迫りもう誰もやって来ないと勝手に思っていただけで、相手も小屋の窓から灯りも漏れず声も聞こえなければ無人と思っても仕方がない。
一通りの挨拶を済ませてお互いの行動予定を確認する。何でも今朝福岡から一人でやってきて九折の登山口から登ってきたという。翌朝は傾山に登って下山するとのこと。それにしても荷物が大きい。何が入っているのだろうか。
世間話をしながら彼の行動を見て納得した。ザックからフライパンを取り出し、何とステーキを焼き始めたではないか。さらにワインをボトルで担ぎ上げていた。他にも何品かあるようでかなりの手間と時間をかけた夕食だ。山に来てまで体裁を気にすることはないが、こちらのお湯を入れたら終わりという余りにも質素な食事では比較対象にもならない。世の中にはいろんな登山者がいるもんだと感心しながら寝袋に潜り込む。
山中での3日目の朝、美食のおじさんは傾山の山頂でコーヒーを飲みながらの朝食にすると言って先に出た。小屋の周りはガスに覆われていたが、山頂へ向けて高度を上げると薄くなり、ほぼ水平方向から上って来た朝日が差し込み自分の影が反対方向のガスに映る。ブロッケン現象とも言われる。自分の手足の動きに合わせて霧のスクリーンに影が動く。さらに高度を上げ傾山の山頂間近でわずかな時間ではあったが祖母山から続く長大な山並が見渡せた。
朝日が差し込み自分の影が反対方向のガスに映る。 ブロッケン現象とも言われる
わずかな時間ではあったが祖母山から続く長大な山 並が見渡せた
