コラム・エッセイ
祖母〜傾山縦走記㉟ 《怖くも何ともないと豪語していたが…》
おじさんも頑張る!~山の話あれこれ~ 吉安輝修地図上では本谷山を越えるとこの縦走路の4分の3を歩いたことになる。今夜の目的地、九折越避難小屋まであと2時間足らずといったところだろうか。今のままのペースなら十分に明るいうちに着けそうだ。
今朝歩き出してから誰にも出会わず自分の息遣いと足音だけを聞きながら歩いている。幸いに雨は止んだし、ほとんど無風だ。昨日歩いた雨の障子岩尾根のように緊張を強いられるような岩稜でもない。ただ、良くて数十メートル。時には10メートル先しか見通せない濃いガスの中というのは正直言って楽しいとか、ウキウキするといった気分が高揚する状況ではない。数十メートル単位のアップダウンを繰り返し、時に踏み跡が怪しいところや緩急変化に富んだルートでもあり飽きはしないし、ヘロヘロになって座り込むほど疲労困憊しているわけでもない。この山の空気や木、土と一体となっているといえば大げさだが、雑念を忘れて穏やかに山と向き合っているのは確かだ。
山に関心のない人にとってみれば「ひと気のない獣の気配を身近に感じるような山奥をよく一人で平気で歩く気になれるものだ」と言われそうだが、寂しいとか恐ろしいとかの感覚は全くない。むしろ一人歩きだからこそ体感できる特権かもしれないと信じている。まあ、これはほとんど山中毒の症状で大多数の人に理解してもらおうなどとは思っていない。
夕方5時近くになった。ほとんど視界のない斜面を下りながら、ぼちぼちと九折越避難小屋が見えるはずだと目を凝らしていた。地形図上では祖母山と傾山の縦走路と大分県側と宮崎県側を結ぶ古道が交差する標高1260メートルの広い峠の上に建つ。傾斜も緩み高度計の数字も近い。小屋を指す看板もあり近くにあることは分かるのだがまだ見えない。
もちろん道端に建っているとは思わないが、それでも小屋に続く踏み跡があるはずだ。このまま行き過ぎることもないだろうが…。近くにあるのに見えないというのは、少々不安というかドキドキもので、頭の片隅では自分が知らないだけで実は老朽化のためにすでに解体撤去され、もうこの世に存在していないのではないか…などとマイナス思考で歩いていたことを白状する。
落ち葉で不鮮明になった分かれ道をたどると、ガスの中から突然目の前に建物が現れた。着いた!さっきまで山の中に一人でいても怖くも何ともないと豪語していたが、所詮はちんけな小心者だ。これで一安心と胸をなで下ろす。
ガスが薄くなった時、一瞬周囲の様子が見渡せた。小屋の前はかなり広い草原状で、積雪時などにホワイトアウトしたら冗談抜きでしばらくはさまよってしまうのではないかと思った。
小屋の戸を開けて中に入る。他に誰もいない。今夜は貸し切りだ。

山の空気や木、土と一体となり穏やかに山と 向き合っている

ガスの中から突然目の前に建物が現れた。着いた!
