コラム・エッセイ
山なんて嫌いだった⑥ 「林業に工夫のし甲斐」
おじさんも頑張る!~山の話あれこれ~ 吉安輝修 「山はつまらん!」と声高々に宣言したものだから、何人かに林業はそんなにつまらないのか?と問われた。林業という業態について多くの人は考えたこともないと思うが「林業」で生活している人も多い。彼ら林業者にしてみれば山の仕事を生業としているわけで、決して「山はつまらん!」わけではない。
そう、林業と言っても二通りの区分けをして見なければ誤解が生まれるので、ちょっとだけ解説させていただく。
そもそも林業とは山に苗木を植えて育て、大きく成長したら丸太を収穫してお金に換えることだ。考え方としては米や野菜を生産するのと何ら変わりないのだが、生育する時間が米や野菜は数か月、長くて半年なのに対し、丸太を収穫するまでには50年60年という気の遠くなるような時間がかかるのが大きな違いだ。言うなれば自分の代で完結出来ない産業で、苗木を植えても収穫するのは早くて子の世代。タイミングが悪ければ孫の世代以降ということになる。さらに米や野菜は自らの手で種や苗を植えて自らの手で収穫して換金し、収支も年ごとに確認できるので、もし今年が不作でも来年は何とかしようと対策も立てられるし希望も持てる。
だが林業の業態はちょっと特殊だ。伐採、搬出、運搬という作業はある意味専門的技術を持った人が行うのが長らくの慣例で、山林の持ち主自らが行うことは一般には無い。下刈りなどいわゆる保育の部分は自前の裁量で行っても、いざ木を伐る時には専門の林業者に丸投げすることになる。
だから、林業と言っても何十年間山を育ててきた持ち主と、伐採して搬出する人で当事者が2人いることになる。当然丸太は時々の相場での取引なので地拵えや植林、下草刈り、間伐など数十年間、ぼう大な手間をかけていても、その対価を丸太に転嫁するわけにはいかない。
一方で木を伐る人は人件費、機械代や燃料代も含めての請負だ。当然夕方5時には終業し休みもちゃんとある。半世紀前の相場なら山の持ち主も伐採業者もウインウインだったかもしれないが、今はかなわぬ夢物語だ。かつての相場が続いていれば丸太の売り上げで再び植林して永続性のある経営ができたのだろうが、今は上手く補助金でももらえば別だが、とても再生産など無理な話で、今現在山に立っている木を伐れば経営はお終いということだ。もし、手を付けないで放置するにしても、それまでに投下した手間代をわずかでも回収することを放棄したことになり、もはや産業と呼べるものではない。
これを林業と呼べるのだろうか。今の時代の林業とは山で伐採や搬出を請け負って作業することで、山の持ち主は林業者に仕事を提供しているだけかもしれない。「山はつまらん!」と言うのは山林の持ち主だけであり「林業がつまらん!」という訳ではない。
結びに、長々と愚痴を書き連ねてきた。少々の無謀を自覚して山仕事に挑戦してみて、決して儲かりはしないし、暑さ、寒さがダイレクトに伝わり体力勝負を実感したが、工夫の甲斐がある面白い業種だと気付いたのも確かで、「山(仕事)なんて嫌い」というわけではないことを添える。

丸太を収穫するまでには50年60年という気の遠くなるような時間がかかる

伐採、搬出、運搬という作業はある意味専門的技術を持った人が行うのが長らくの慣例だった

山仕事は工夫の甲斐がある面白い仕事だと気付いたのも確かだ
