コラム・エッセイ
祖母〜傾山縦走記㉙ 《一人歩きの特権》
おじさんも頑張る!~山の話あれこれ~ 吉安輝修いくつかのピークを越えて「古祖母山」(ふるそぼさん)1,633メートルに立った。この山の名前の由来だが、なんでも祖母山頂に祀られている豊玉姫が最初に降臨した山で、あとから今の祖母山に移ったとので「古」の名がついたようだ。なぜ移られたかの理由は分からないが100メートルばかり「祖母山」のほうが高いので威厳を守るためなのか…。
古祖母山の山頂も多くの人に踏まれて裸地化し、表土の流出で三角点の標柱がかろうじて立っている状態だ。今日はあいにくガスに包まれて視界は全くないが、晴れればなかなか見晴らしも良く訪れる人は多いようだ。というのも古祖母山は祖母傾山系の中でも意外と簡単に登れる山だからでもある。県道7号線が大分県と宮崎県を標高約1,000メートル付近で貫通する尾平トンネルでつないでいるが、このトンネル付近まで車で来れば、尾平越といういにしえの峠に上がって2時間弱で山頂にたどりつくことができる。深田百名山の一座でもある祖母山が一番人気なのは当然だが、こうしたアクセスの良さと山名の由来、そしてビューポイントというのも多くの人を招き寄せている理由かもしれない。
いつの間にか霧雨も上がったようだ。時間に余裕があるので荷物を放り投げてエネルギー補給などする。片づけまで入れて5分もかかりはしないが、しばらくは腰を下したまま一人でこの山の“気〟を感じよう。周囲は霧に包まれて何が見えるという訳でもないが、静寂な時が止まったかのようなこの状況がなかなか良い。風もなく枝葉がこすれる音もしないし遥かに下方の渓谷を流れる水流の音も聞こえない。もちろん車や機械による人工音も皆無で、全くの無音の世界だ。
歩いている時は地面を踏む靴音や背中のザックがきしむ音、自分の息遣いなど自らが動くことで発する音に包まれていたが、いざ全ての動作が止まった途端に完璧なほど粛然とした世界に身を置いていることに幸福とは言わないが、いつの間にか陶酔している。
これも一人歩きの特権だ。時に遠くで大型の野生動物が歩いているのだろうか、かすかに「ぱきっ」と枝を弾くような音が聞こえる。獣たちは当然こっちの存在を早々に察知しているだろう。でも、この瞬間も獣たちと共有できているような感覚がたまらない。
山の単独行はリスクが高い。確かに事故を起こして身動きが取れなくなったら知らせることもできないし、助かるものも助からないかもしれない。反面、他人を気遣うことなく感覚を研ぎ澄まし、ふっと自然と一体になったかのようなこんな時を堪能できるのが特権かもしれない。
これから先はくだんの尾平越まで標高差で500メートルばかり高度を下げる。いきなりの急な岩場に緊張もしたが、基本は土の縦走路で歩きやすい。あいかわらず視界は20メートルほどだが、高度を下げるほど明るくなる。

多くの人に踏まれて裸地化し、三角点の標 柱がかろうじて立っている

何が見えるという訳でもないが、静寂な時が止まったか のようなこの状況がなかなか良い
