コラム・エッセイ
祖母〜傾山縦走記⑲ 《残念と思うか安心と思うか》
おじさんも頑張る!~山の話あれこれ~ 吉安輝修登山口の上畑でとんでもない時間ロスをしてしまい、仕切り直しで歩き始めたのが午前10時半だった。水も食料も初日なので満載でザックも最大重量だ。しかもガスに巻かれ雨も降りだして濡れた岩場が連続する緊張の障子岩尾根にスピードはガタ落ちで、気分的にも軽快に歩くという条件ではなかった。それでも引き返すという選択や枝道からのエスケープもしないし宮原というテントサイトには最適な場所を見送ったということは、何が何でも九合目避難小屋まで歩かなくてはならないという責務を自らに課したことになる。言わば退路を断ったということだ。
もっともいざという時には地面が少々は斜めでも、背中に岩があたるような場所でもテントさえあれば何とかなるのだが、そもそも出発間際に持参する装備の取捨選択をする際にテントはテントでもツエルトという非常用の簡易テントを選んだ。このツエルトは直接の風雨をさえぎるという最低限の機能はあるが、自立できないので周り木からロープを張ってぶら下げるか、ストックをポール代わりにするなど二手間余計にかかるうえに狭い。中で荷物を広げて作業をするなどもっての外でこの状況では快適にはほど遠い。体が動けないのならまだしも、もうひと踏ん張りで避難小屋にたどり着けるのならちょっとの無理もいとわない。
歩き出してちょうど8時間。午後6時半にほとんど暗闇状態で祖母山九合目避難小屋の前に着いた。ずっとこんな天気では小屋は貸し切り状態だと思い込んでいたが灯りが漏れているではないか。しかも小屋の外ににぎやかに複数の人の談笑の声が漏れ聞こえる。ちょっと残念。これを残念と思うか安心と思うかだが、山に関心のない多くの人は真っ暗な獣の気配もするような山奥で一人が夜明かしするなど恐ろしくてとんでもないと思うのだろう。でも人より感性が鈍いのかそっちの方面やお化けの類では何とも思わない。むしろ山中で人に出会うほうが残念だと感じる。
恐る恐る入り口の引き戸を開ける。部屋は土間の先にあるのでまだ姿はお互いに見えないが、少々建てつけの悪い戸なので力を入れたところ勢い余って大きな音を立ててしまった。その音にピタッと話声が止まった。おそらく雨降りの真っ暗な時間に登山者がやってくるなんて思ってもいなかったはずだ。いや、登山者ではなく獣が入り込んだ音と思わせたかもしれない。まずは人間ですよと正体を明かしたほうが良いと思ったが、何せドロドロになったみっともない恰好は良くない。見栄を張って転んで泥だらけになったことを隠すわけではないがカッパだけは脱いで顔を出そう。せめて獣ではなく人間の気配がするようにちょっと意識して入り口の戸を閉めた。山でもそれなりに気を使う。

小屋は貸し切り状態だと思い込んでいたが…祖母山九合目小屋

勢い余って大きな音を立ててしまった
