コラム・エッセイ
「先延ばし」
おじさんも頑張る!~山の話あれこれ~ 吉安輝修これは性格というか性分というのだろうか、子供の頃から何事も「先延ばし」をすることが“普通”になって今に至る。計画的に物事を進めていけば後で慌てふためくこともないのに「明日があるさ」「期限はまだ先」と手を付けない。ギリギリになってようやく手を付けるが「時既に遅し」で物理的に不可能なことに気付く。ついには開き直ってしまうから始末が悪い。
自信を持って言えるのは、夏休みの宿題など完璧に期限内に済ませた記憶は一度もない。登校日の休み時間に出来の良い友人の答えを驚異的な集中力とスピードで書き写してやり過ごす。美術の課題は提出日のそれも直前10分前にサッと済ます。絵のセンスが無いのは自他共に認めるところで出来映えは言うまでもないが、絵具が生乾きどころか垂れ落ちるような代物は評価する以前の問題だと通知表には“1”がついた。
毎年、夏休みが始まる前には今年こそは早く済まそうと誓うのだが、改善することなく学校生活も終わった。社会ではこれが誇れることではなく、段取りも考え、計画的に動かざるを得ないことを多少は学んだが…。
何十年も前からの計画だが、須金から約10キロメートル下流に平瀬ダムがもうすぐ竣工して水を貯め始める。水没予定の土地は県のもので、我が家の杉が植わった川沿いの土地も既に先代が山口県に売っている。いくらで売ったのか、その金がどこに消えたのかは不明だ。まあそれはいいのだが、植えてある杉の木の所有権は当方にあり、ダムの竣工までには切り出す約束となっている。ただ、工事が遅れたらしく期限が数年ばかり先送りとなっていた。これ幸いと切り出すのをもう1年、もう1年と延ばしていたが、一昨年、とうとう今年度中という期限を切られてしまった。夏休みの宿題と同じで待ったなしだ。
木材化価格の低迷が続き、広大な山林ならいざ知らず、川沿いの細長い道下の杉林など業者に依頼すれば二束三文か場合によっては追い銭が要る。ならば自分でやれば丸儲けと皮算用もしてみた。しかし、昨年七転八倒して裏山の杉を切り出してみて、機械の費用や燃料代など差し引いたら何も残らない空恐ろしい体験をして一人でやることの非効率と限界は身に染みた。といってこれ以上先延ばしはできない。年度末の3月になって「やっぱり出来ませんでした」と開き直るわけにもいかない。
昨年暮れから縁あって山仕事をする以前からの知人とチームを組んで伐採を始めた。やはり一人とチームでの作業では効率が格段に違い、はかどるスピード感が心地良い。この調子でいくなら何とか期限内に終わる目途もつく。
今に思えば、あれこれ言い訳をして「先延ばし」したからこそたどり着いた結果のような気がする。何でもパッパッと事を器用こなす人もいるが、「先延ばし」の最中に経験することや出会いも大事なことなんだとしみじみ思う。
川沿いの細長い道下の杉林など業者に依頼すれば二束三文だ
この調子でいくなら何とか期限内に終わる目途も…
