コラム・エッセイ
「たまには遊びも必要か」
おじさんも頑張る!~山の話あれこれ~ 吉安輝修最近になって気付いたことだが、若いころなら何かと理由をつけて遊びに出かける口実を探していたが、不思議なことに何が何でも遊びに行きたいとは思わなくなっている。コロナで興味関心の方向を変えなくてはならない事情故だ。
とはいえ、都会暮らしの自粛生活ならいざ知らず、田舎暮らしはやることが山のようにありストレスフリーな毎日だと思っている。
春の陽気のせいだろうか久々に山歩きがしたくなった。我が家から小一時間もあれば馬糞ヶ岳や平家ヶ岳の麓に行けるのだが、長らくの登山やランニング自粛で体力が落ちているのか不安だし、もし途中で動けなくなって助けを呼ぼうにも携帯が通じない。それに熊の活動も活発で目撃情報も多い。そんな理由をいろいろつけて思いついたのが大華山だ。
昔々昭和40年代後半に大華山には数えきれないほど登った。最後に登ったのが高校生の時なので半世紀も前のこととなった。当時はボッカ訓練と称して一斗缶に水を満たしてふうふう息を切らし、それでも休んでなるものかと大汗をかいて歩いていた。さらに大島まで縦走し、帰りに海岸で貝掘りをしたなあ。
女房が買い出しに行くというのでこれ幸いと運転要員とし、登山口で降ろしてもらい、もし途中でばてたら電話するから迎えに来るよう頼んで別れた。山歩きは2年近くのブランクがあり少々不安もあった。が、意外にも軽快に歩けた。多少意識して足早気味だったが30分ちょうどで山頂に立った。
これはやれるぞと縦走路に踏み込む。コースの状態は半世紀前よりははるかに整備されていて歩きやすい。それに終始道の両側から常緑の灌木が頭上を覆うため、遠望はないが直射日光を遮り快適だ。それでも縦走路の途中何か所か笠戸方面が開けたところがあり春霞のかかる瀬戸内の島々を時を忘れて眺める。
思いの外余力を残して歩き始めから1時間半で大島に下りた。誰にも出会うことなく静かに久々にたっぷりと山歩きを堪能した。やっぱり山はいい。3千メートルのアルプスもいい。烈風吹きすさぶ極寒の雪山もいい。でも身近な低山のこんなハイキングコースもまたいい。何よりまだ歩けるな!!と少し自信もついた。
そんな余韻に浸りながらぼちぼち迎えに来てくれるよう女房に電話をするが買い物に夢中で気付かないのか、車に置き忘れてしまったのか電話に出ない。しかたなく海岸沿いの道路を歩く。山暮らしの身では潮風が新鮮だ。対岸に笠戸のドックが見える。左手は歩いてきた大華山からの山並みがどっしりと続く。
笠戸大橋のアーチが見え出した。競艇場がすぐそことなり、新周南新聞社の社屋を見送って堀川沿いに歩いてとうとう出発点に戻ってしまった。
そのタイミングで女房からの電話が鳴った。いろいろ言い訳をするがどうでもよい。久々の外遊びに身も心も満たされて、今はいつもの自分ではないような寛容な人になっている。たまには遊びも必要かもね!
大華山登山口:昔々ここから数えきれないほど大華山に登った
縦走路はよく整備されている。遠望はないが日差しを遮り快適だ
春霞のかかる瀬戸内の島々を望む
