コラム・エッセイ
知床に思う①
おじさんも頑張る!~山の話あれこれ~ 吉安輝修近頃のワイドショーのトップは一時の少々ヒステリックなコロナ騒動の話題が後回しになり、某国の侵略による爆撃被害を受ける無残な街や犠牲となった市民の姿に置き換わっている。それと知床の遊覧船沈没事故も連日のように報じられている。
どちらも人災だという論調に否定はしないが、人間の業というか底知れぬ欲ゆえに行き着いた結果のような気がする。大国であれ小さな事業者であれ、トップとなれば保身や既得権益を守るのはもちろん更なる利益拡大を計ろうとするのは当然でその心情もわからなくはない。その頂点に居座る間は権限をどう行使するかで人を幸福にも不幸にもできるのだが、要は倫理観や道徳観といったものとのバランス欠如ということではなかろうか。
「我田引水」というが、力のある者は限りある水を田んぼに強引に引きこむためのルールやインフラ整備をするが、力の無い者は深夜にこっそりと堰を外して水を引く。年寄りの話を聞いていると昔からそんなトラブルは多かったようだが、それでも大事件に至らなかったのは倫理観、道徳観を持つ冷静な調整役が存在していたからだとも聞いた。
人の世は際限のない欲望のために、時として人の命さえ軽んじる仕組みや風潮に翻弄され、その度に調整組織やルールがつくられてきたが、常に争いは絶えない。どうすればいいのでしょうかね…。
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知床の遊覧船沈没の報道でウトロ、知床岬、斜里町、カシュニの滝などといった地名を連日耳にするが複雑な思いをしている。実は大昔この斜里町に2年少々の間住んでいたことがある。
経緯は長くなるので端折るが、第二の故郷といっても過言ではない。山遊び一筋なので海に興味はなく、当時は遊覧船など眼中になく、四季を通じて連日のように斜里岳から海別岳、羅臼岳、硫黄山と続く知床の山脈を眺めていた。
もちろん知床が世界遺産に登録される前のことでこの地の乱開発を防ぐために「知床100平方メートル運動」というナショナルトラスト運動が全国区で名を馳せた時と重なり、純真?で感受性の強い若かりし頃にすっかり知床の虜になったし今でも変わらない。
その知床半島だが、諸説あるが基点は斜里岳の東の根北峠でアップダウンを繰り返して100キロ先の知床岬が終点となる。当然その全行程を歩き通したいと挑戦を繰り返すが、何せ登山道(縦走路)があるのは羅臼岳と硫黄山の間だけで、積雪があり天候が安定した日しか進めず未完のままだ。
カシュニの滝の沖に遊覧船が沈没しているというが、この滝の源流は知床岳で、知床半島縦走でいよいよ岬が射程圏内に入る地だ。
過去に2回ばかり訪れたが羅臼側の車道終点の相泊から海岸線を歩き、川を徒渉しながら進んでようやく入山地点に着くという深山というより、秘境を感ずる山でもある。
昔々、四季を通じて連日のように知床の山脈を眺めていた
知床の縦走は積雪期で天気の安定した日しか歩けない
知床の山から望むオホーツク海の渦巻く流氷=この先で遊覧船が沈没した
