コラム・エッセイ
号外 突然の訃報《正さんが亡くなったⅥ》
おじさんも頑張る!~山の話あれこれ~ 吉安輝修読経の間まぶたににじむ涙をハンカチでおさえながら“正さん”との思い出を振り返る。順番は時系列ではなく最近の出来事や10年以上も前のことなど順不同に現れては消え、また同じ場面が浮かんでは消えそれこそ走馬灯のように脳裏を駆け巡る。果たして何年何月のことだったのか記憶も怪しいが、“正さん”達と一緒に歩いた時のことや酒席での情景を次々と思い出す。
偶然のご縁がきっかけで家族まで巻き込んだお付き合いに発展出来たことがうれしい。人に秀でるものなど皆無なうえに面白い話も芸もなく、図々しく押しかけるただの酒飲みを、よくも長きに渡って辛抱強く取り合ってもらったことにあらためて感謝したい。これも“正さん”の人柄というか生き方が取り持った運命的なご縁としか思えない。
それに“正さん”との出会いがもとでおよそ選択肢になかったランニングなどというものにのめり込み、NAHAマラソンのお誘いを真に受けて毎年暮れには宮城家を訪問することが年中行事となったが、さすがにフルマラソン完走となればタイムはともかく多少の練習も必要で、ちょっとは家の周りを走っておこうかなどと思ったりもする。元来の“のーくれ”気質で走らぬ口実も多いのだが、それでも週に何度かはストイックに夜道をポチと一緒に走るなど、日常がちょっと変化した。生き方が変わるというほど大袈裟なものではないかもしれないが、日々の暮らしのリズムが確実に変化している。“正さん”がこうした少なからずの影響を与えてくれたことにも感謝する。
同時に闘病中にお見舞い一つできなかったことが悔やまれる。昨年の暮れにお邪魔した際に体調が万全ではないことを知らされながら、結果的に知らぬ顔をしたままだった。聞けば年明けに倒れてほとんどベッドから離れられないまま最期を迎えられたというではないか。年末に居酒屋の一室で大騒ぎをしてから間もなく倒れられたということは、あの日、早朝よりマラソンの応援で動き回り、さらには深夜まで酒飲みの相手をしたことで疲労もたまり体調を崩す元になったのではないかと思慮に欠けていたとことも反省している。
葬儀が終わり、納骨の出発をお見送りした後にやりきれない思いを抱いたまま真っすぐに那覇空港に向かった。帰りの便まで3時間近くあるが何だか寄り道をしてはいけないような気がした。待合室で回想していると奥方から電話があった。まだまだ喪主には雑多な用事が山積しているだろうに…。一しきり会葬の礼を語られた後にボソッと「県外の子供たちもすぐに帰るというし、誰もいない家はさみしいし、これからどうしよう…」と涙声でつぶやくように話された。返す言葉が見つからない。あの時何と返したのかも記憶にない。只々“正さん”のご冥福を祈るばかりだ。“正さん”ありがとう。
そして淳子さん長い間お疲れ様。これからは自分の人生を大切にね。
