コラム・エッセイ
号外 突然の訃報《正さんが亡くなったⅢ》
おじさんも頑張る!~山の話あれこれ~ 吉安輝修昨年末も恒例となったNAHAマラソンを走りに行った。いつもなら宮城家を当たり前のように宿代わりにし、夜は大宴会に突入するのが慣わしだ。しかも大渋滞の中を会場まで送ってもらい、さらにマラソンコースの中間地点となる平和祈念公園に移動して手作りのプラカードを持って声援をしていただくなど、とんでもない手間をかけた歓待を受けていた。
顛末は長くなるのではしょるが、歳は親子ほど離れているのだが大阪府庁マンのU君もご縁があって、毎年のように一緒にNAHAマラソンに参加している。やはり宮城家に家族でお世話になっていた。
昨年もこのNAHAマラソンにエントリーし、抽選の結果U君も当選したという知らせがきた。今回も一緒にがんばろうとメールでやりとりしていたのだが、“正さん”の体調がかんばしくないようで、この度は宿も移動も自力でするので宮城家には迷惑をかけないようにしようと相談していた。宮城家には我々には一切お気遣いなくと伝え、できるだけ負担をかけないようにと準備を進めていた。ただレース後に顔を見ないまま帰るわけにもいかないので、せめては一緒に食事でもできたらと思っていた。
ところが結局は例年のように応援に駆け付けてもらい、レース後に大混雑する会場まで迎えにきてもらった。さらには予約していた宿まで送ってもらうだけでなく、汗を流すまでロビーで待ってもらった挙句に予約してもらっていた居酒屋まで送ってもらうという、堪えがたいような面倒をおかけしてしまった。
はじめは神妙にかしこまっていたが、酒が入ればそれも長続きはせず、いつものように勢いづいてしまい、ここは飲み放題食べ放題だと大いに飲み食らって賑やかな一夜となった。酔っぱらった勢いで、病院は薬を食べるほど出すのではないか。酒は百薬の長だ。などと言いたい放題。帰り間際に店員さんに記念写真を撮ってもらった。ポーズを変えてもう一枚などと大の大人が大騒ぎをして店を後にした。
聞けばこの一年は入退院を繰り返し自宅で療養中とのことだ。確かに“正さん”の体は細くなってはいたがゆっくりと養生すればまた元気に復活できると信じていた。翌朝“正さん”の奥方からメールが届いた。「…静かすぎる私たちの日々に、久しぶりの華やか一日でした。今年ももうすぐ終わりますね。こちらは大変な一年でしたが何とか乗り越えました。〜中略〜正さんは私よりも元気な目覚めでした。よほど楽しかったのでしょう。本当にありがとうございました…」その時は気にならなかったが、今あらためて読み返すと自宅での療養生活も長期化し、“何とか乗り越えました”というかなり深刻な状況の時もあったのだろうと察する。そこまで重篤な状況とは知らずに我々はとんでもないことをしてしまったのかもしれない。まさか、これが最後の写真になるとは…。

「大阪府庁マンのU君と一緒にNAHAマラソンに参加した」

「まさか、これが最後の写真になるとは…」
