コラム・エッセイ
伯耆大山再び… 祝 米子登攀倶楽部40周年
おじさんも頑張る!~山の話あれこれ~ 吉安輝修異例の速さで梅雨明けした7月の初めコロナで遠ざかっていた伯耆大山に2年ぶりに足を向けた。終日雨で少しばかり根性のいるコースを選び、全身ドロドロ状態にはなったが心身ともに満腹となった。
さらに所属する山岳会「米子登攀倶楽部」の懐かしいメンバーと久々に対面し、コロナ禍で人との繋がりが希薄になっていただけに“濃厚”なひと時を過ごして大満足をした。それから三か月。つい先日再び大山に足を向けてしまった。
所属する米子登攀倶楽部は今年で設立40周年を迎える。本来なら会員や関係者が一堂に会しての盛大な祝賀会が催されるところだが、コロナの感染者数も減少傾向とはいえ今の世情ではやはり難しく見送りとなった。30周年の祝賀会では会員になって数年の若輩にもかかわらず年の功で大きな顔をして末席を汚した記憶がある。
登山界も40年の間に形を変えて何度もブームが去来し、インターネットの普及で山の価値観も激変してきた。特に山のノウハウを得るには学生であれば山岳部やワンダーフォーゲル部などで先輩から理不尽ともとれるような“訓練”と称する半分しごきに耐え、社会人山岳会でも伝統や規則に縛られることもいとわないのが普通だった。
でも今はネット上で多少の武勇伝的な誇張に脚色されてはいるが、新鮮な山の情報が氾濫し、かつてのように先輩や書籍の情報から想像して夢を膨らますという手間が省ける時代だ。ともすれば行ったこともないのにさも自分が見てきたように錯覚する。
今時はかつての泥臭い関係性は疎まれて山岳部も廃部もしくは瀕死状態。山岳会も盛衰の波の中で仲良しサークル化しているというのも聞く。いつの時代でも何の世界でもそうだが、ブームに乗っかって足を突っ込んでもブームが去れば興味関心も失せる。
もちろんそれが悪いと言う気はさらさらないが、山という大自然と対峙しながら自らの力で高みを目指せるのが魅力であり、それらを仲間とともに他人を気遣いながら成せるなら更に素晴らしいではないか。
この度、米子登攀倶楽部の40周年を迎えるにあたり、コロナ禍の最中でもあり記念事業の在り方について事務局は相当に骨を折られた。結局は40周年記念のオリジナル純米酒を地元の酒蔵で限定生産してもらい、記念のペナントを配布することに落ち着いた。ラベルは会の代表で画家でもある松下順一氏のデザインだ。中身は言うに及ばずラベルのついた瓶は値打ちものだ。
その記念酒を渡すので取りにおいでという連絡があり、この度再び大山に足を向けたという顛末だ。関係者が集まっての記念式典などないが、数か月前に大休の避難小屋で焼肉をしたおじさん会員の面々と山岳ガイドのN氏の小屋でみっちりと山談議に花を咲かせた。ネット全盛の世でこうして40年も連綿と続く会と運営者に敬意。そこに名を連ねることに感謝でもあり誇りでもある。
コロナで関係者が一堂に会するわけにもいかずオリジナル記念酒とペナントなどが配られた
N氏の山小屋ではみっちりと山談議に花を咲かせた
せっかく大山まできたので午前中にサッサっと三鈷峰を往復=今回は無風快晴で剣ヶ峰も手に取るように見えた
