コラム・エッセイ
「ちょっとだけ気が抜けたような…」
おじさんも頑張る!~山の話あれこれ~ 吉安輝修つい先日までの猛暑、酷暑の炎天下では人が外で本気で活動できる状況ではなかった。これでは寿命が縮まると本気で思って自家製サマータイムを導入して何とか炎暑続きの夏をやり過した。
テレビでは地球規模での気候変動問題が盛んに取りざたされ、このままでは人類に未来はないなどと絶望的な声も聞く。
それでも気が付けば山の木々も色づき始め朝晩の気温が一桁の日もあり、過ごしやすくなったというより肌寒さに上着を羽織る。
世界に目を向ければ大洪水や干ばつなどで住む場所さえ失ってしまう地域や国が数多くあるというのに、こうして無事に?秋を迎えることができた。
その昔というより大昔の子供の頃、年寄りからその季節や時期の歳時記的な話をよく聞かされていた。種まきや収穫のタイミングのこともあるし、祭事や生活の上での知恵など季節感とつながった話が多かったのを思い出す。その地に暮らすための知恵や技が何世代も何百年も蓄積され伝えられてきた今でいうところの「ウキペディア*」みたいなものだ。
当然のことながら高度経済成長期の最中で聞いたことで、科学万能な近未来は便利で豊な世界が来ると信じる少年にはさほどの興味はなく、ただただ都会を羨望していた。それでも畑に種をまくタイミングやタイムリミットなどの話など記憶に残るものも多い。
今になってそんな昔話が貴重なものだったと気付かされるが時すでに遅しで、今の季節感と昔の歳時記を重ねることに少々の無理があることを実感する。
戦争など破壊的な行為は地球規模で環境が悪化していくという。これが長引けば気候変動などのペースは確実に加速化し、多くの人いや多くの生き物の暮らしが奪われていくのではないかと危惧する。作物の北限がさらに北上し、亜熱帯の果物がついそこまでやってきている。
長くなった夏や北海道の梅雨など異例尽くめで四季のバランス変化はあるが、それでも秋はやってきた。かつては当たり前だと気にもしなかった色付く山の景色も貴重なものを見ている感さえある。(*Wikipedia:インターネットでアクセスできるデジタル百科事典)
◇ ◇
耕作放棄地が増えるばかりのふるさとだが、半分はノスタルジックにかつての田園風景を取り戻したいという思いで今年も春先から牛を放牧し、彼ら(彼女ら)の舌刈と併せて自分も暑いのなんのと言い訳ばかりではあるが一緒に草刈りに精を出した。
もちろん受け持ち範囲は牛達が9割以上で、その働きに感謝だ。牛達にとっても猛暑、酷暑はこたえた筈だし、台風の大雨の中でも黙々とよく仕事をしてくれた。
朝夕に姿を見に行くのが楽しい日課だったが、先ほど半年間の役目を終えて古巣に帰っていった。今、同士がいなくなったからだろうか、喪失感というか寂しさでちょっとだけ気が抜けたような…
今年も牛達やよく仕事をしてくれた。草刈りの同士だ
台風の大雨でも休まず頑張った:近所から水牛だと言われた
同士が古巣に帰っていった。ちょっとだけ気が抜けたような…
