コラム・エッセイ
2022年を振り返る
おじさんも頑張る!~山の話あれこれ~ 吉安輝修人によるというか価値観の違いにもよるのだろうが、田舎暮らしというのは不便の代名詞のように語られることが多い。もちろん田園回帰とか自然志向とかであえてまちなかから田舎に移住する人もいないわけではないが、出入りの数をいえば圧倒的に田舎から出ていく人の数のほうが多い。
“過疎社会”というのを聞いたのはもう半世紀以上も前のことだったし、いつごろだったか“限界集落”などというフレーズがメディアを賑わせ社会問題化されていたが、今は“縮小社会”の真っただ中だ。ひと昔前までの元気な声を上げていれば役所や先生方が何とかしてくれるに違いないという根拠のない幻想に酔い、ないものねだりの他力本願的思考から抜け出せなかった末路だったのかとも思う。しかしながらこれは日本中の現象で恥ずかしいことではない。
いつの間にか身近な商店もなくなりバスも走らなくなってはいるが、今のところ行政の生活支援の施策で助けられている。だが、加速度的に進む人口減少と圧倒的な担い手不足で自治機能が低下していく現実に方策もいずれ限界が来るのではないかとちょっと気になる。
そんなところの住民の一人としてこの一年を振り返ってみた。我が家は今でも薪で沸かす五右衛門風呂だが、これは田舎暮らしの特権の一つだと思っている。寒くて冷え切った体も芯から温まる。燃料の薪は山に無尽蔵にあるので電気代、ガス代も気にしなくてよい。ところが薪割は根が「のーくれ」で斧でなくて電動油圧式の薪割り機を使っているのだが、先日から不調だった。かれこれ30年近く使いこんだもので寿命かとも思ったが、外見上は部品が欠落しているわけでもないのでもったいない。
昨年はスイッチを入れても「うん」しか言わないのでバラしてみたらモーターのコンデンサーがパンクしていた。数百円の部品代で蘇った。今回は油圧シリンダーが戻らない。
どうやらコントロールバルブが固着しているようだ。精密部品なのでウエスに包んで万力に固定し、プラスチックハンマーで慎重に叩きながら分解して目の細かいサンドペーパーで磨いて組み込んで復活した。
自慢話のようだが、これも田舎に暮らす故の生活の知恵の一つだ。かつては商店も大概はよろずや的な存在だったし、地区内にはありとあらゆる特技保持者が生業としていたので日常の暮らしの困りごとはまず完結できた。ところが、今は機械が壊れても直す人がいない、大工も電気屋もなくなり頼む人がいないなどの現実がある。
まちの専門業者に頼めば解決できるが、時間もかかるし費用もかさむ。もちろん人には得意、不得意の分野もあるが、こんなDIY的生活が出来るのも田舎ならではだ。世情は不安定で紛争も絶えない。
エネルギー問題も一時より後退の気配があり、人の心も何かにすがりたくなるのも分からなくはない。2022年はそんな世を横目に田舎暮らしを堪能した一年だった。

今から半世紀以上前に「過疎社会:米山俊直著」を読んだが今のトレンドは縮小社会だ

根がのーくれなので斧ではなくて薪割り機を使う

固着していたコントロールバルブ:慎重に分解して目の細かいサンドペーパーで磨いて復活した
