コラム・エッセイ
東北急ぎ旅⑧
おじさんも頑張る!~山の話あれこれ~ 吉安輝修写真集「気仙の惨状」のページをめくりながら聞く村田さんの震災当時の話は生々しい。テレビや新聞などで情報は入ってはいたが、現地を見た上で被災された方から直接、話を聞くのは初めてのことだ。やはり命の重さのことであったり、生き抜くための胆力(たんりょく)といったものが過酷な状況下では大事になるのだなあと感じた。
また、身近な人の命を奪い、長い年月をかけて作り上げてきた物理的なものを一瞬で破壊する津波のエネルギーも恐怖だが、同時に、目に見えない文化といったものも失ってしまうことにも気づかされた。
村田さんが長年にわたってフィルムに記録してきたふるさとの歴史や記憶もすべて流されてしまったという。写真家にとって撮りためたフィルムを失うことはどれだけ無念なことだっただろう。話を聞けば聞くほど、その思いが痛いほど伝わってくる。
再度、写真集の巻末の「余談」を引用させてもらうが、氏の人柄ゆえの交友と信頼で写真集ができたこと、写真家としての使命感と心のあせりもわかる。現代の豊かな暮らしが危うさの上に成り立っていることも危惧(きぐ)されている。
短い時間だったが、自身の生き方を愚直に通される姿を垣間見ることができた。
◇ ◇
震災の後を記録すべくカメラを持って避難はしたものの、充電式の電池がなくなった。充電器は流れた。友人から借りようと思ったが、携帯がつながらない。直接訪ねようと思えば車がない。ようやく自転車を借りて跨(また)いで気がつけば停電である。
今、世の中はガソリンから電気自動車の時代に変わる流れではあるが、一週間停電したら道路に車の姿はなくならないか心配である。「救援物資は馬が運んで来るのだろうが」余計な心配だろうか。
そんなある日、知人から「見舞金や救援物資をいただいた人にお返しがしたいが、ワカメもホタテもない。お前の撮影した写真で小冊子をつくれないか」という話があり、当方も同感だった。
飛行機をチャーターしたいが金がない。その話を聞いた友人が「金は俺が出す。今撮らないでいつ撮るんだ」と。
早速、飛行機会社に交渉すると「救援活動が優先されていて飛行制限があるから駄目だ」とのこと。ようやく5月3日と6月9日に飛行撮影が出来たのである。
私個人の知力や財力はないに等しいが、支援していただいた数多くの皆さんに感謝したい。
30年にわたり撮り貯めた茶箱2箱分のフィルムもすべて津波に持っていかれた。それがあればもっと充実した記録集が完成したのに…。
「津波よお願いだ。今度来たときは借金も持っていってくれー」

震災当日、津波が引いたすぐあとの惨状の写真

震災からひと月半後に飛行機をチャーターして撮ったという
