コラム・エッセイ
愛を考える
おじさんも頑張る!~山の話あれこれ~ 吉安輝修「“愛”を考える」など壮大かつ哲学的な話題をここで披露できる見識も何もないが、それでも身近に“愛”のつくものはある。愛犬であったり愛機や愛車、愛読書…等々。また愛を越えて「宝」も多い。もちろんこれらは他人が見れば、いや家人がみてもガラクタだが自分にとっては愛してやまぬ品々だ。
おっと―愛妻を忘れていた。
先日のことだが、物置の片づけの際に半世紀近く前に三度の飯を二度にして入手した木製シャフトのピッケルを出していたら危うく畑で鍬代わりに使われそうになった。愛器が本来の使用目的以外で乱暴に使われるなど見るに堪えずに慌ててしまいこんだ。
とはいえ、近い将来いずれは“ガラクタ〟の一山に埋もれて粗大ごみに出されるのは明らかだ。実用品としては時代遅れで年寄りには重くて使い勝手が悪く出番はもうない。それなら鍬の代わりでも役立つなら良いかもしれない。でもやっぱりダメだ。
ピッケルコレクターでもある米子登攀?楽部の松下順一氏の顔が目に浮かんだ。写真を送って要るか?と尋ねたら二つ返事でほしいと返事があった。
少々の寂しさはあったがこんな時は思い切りが大事だ。これも終活の一つと未練を断ち切るように手渡して振り返らず帰った。舶来品に比べれば価値は何分の一だろうがきっと彼なら生涯大事にしてくれると信じている。
“愛”車との別れもあった。もうかれこれ25年、四半世紀乗った車だ。貨物車仕様で後部座席が折り畳めるので仕事はもちろんだが山では車中泊で随分と使った。伯耆大山には数えるのも面倒なほど通った。九州では九重や祖母山系、四国は石鎚山系にも度々通った。林業研修などでは今NHKのお朝ドラで舞台となっている高知県の佐川町にも何度か走らせた。我が家の子ども達が進学、就職などで引っ越しするたびに布団や鍋釜、茶碗 冷蔵庫、洗濯機、自転車等々満載して走った。岐阜、京都、大阪、熊本、福岡と。
愛車ではあるが土足厳禁とかワックスでピカピカに磨くなど撫でまわすようなことはしていない。洗車は年に何回のレベルで外観に関してはほとんど放置状態だったが、水とオイルに関しては神経質に管理していた。朝エンジンをかけてすぐに飛び出すなどエンジンの悲鳴が聞こえるようで暖機運転はかかさなかったしクラッチも丁寧に繋いだ。バッテリーも交換は2度だけ。それでも26万キロでエンジントラブルがあった。
一般にはこのあたりで買い替えとなるのだろうが“愛”車ゆえにウン十万円かけて修理し、さらに愛情こめて丁寧な運転を心掛け40万キロ近くまで乗った。まだまだエンジンは快調だが錆びでボディーが限界となり車検切れのタイミングで廃車の決断をした。車屋さんまで運んで帰る時、涙こそ出なかったが四半世紀の“愛”車との思い出が走馬灯のように頭の中をめぐった。長い間ありがとうとボディーにタッチして踵を返す。

三度の飯を二度にして入手したピッケル:危うく畑で鍬代わりにされそうになった

後部座席を畳めばキャンピングカーだ。車中泊で随分と使った

愛情こめて丁寧な運転を心掛け40万キロ近くまで乗った
