コラム・エッセイ
「有朋自遠方来 不亦楽乎②」
おじさんも頑張る!~山の話あれこれ~ 吉安輝修前回、鳥取県の山岳会「米子登攀倶楽部」の人達と一緒に大華山に登ったことを書いた。それを読んだ人から山はいつも山岳会の人達と一緒に行くのか?と聞かれて「まあ、時々」と答えた。野暮用が多くてなかなか都合が合わず年に数回程度はご一緒させてもらっている。
本音をいうと山歩きは大好きだが、大勢で歩くのはあまり好きでない。そもそも自分流の山歩きは基本一人だ。あの尾根をずっと辿ってみたい。このルートから入ってあそこに下りてみたい。山頂で遠望した峰々をいつかはつなげてみたい…等々、地形図を拡げてまだ見ぬ情景を想像し、赤鉛筆でルートを延ばしながら一人で妄想し、何か月もかけて計画を立て、コツコツと体作りや山感を磨くための山歩きも準備の一つとするのがスタイルだ。
これらの計画を周囲に吹聴したり他人を誘うわけでもない。その妄想がいよいよ現実になる時、山で中途半端な他人との関わりがあると当初のイメージと違ってくる気がして意識して人を避けるようにして歩く。よって山中では誰にも会わずに一人で歩くことが多い。
それでも山岳会に入っているのは大いに矛盾するが、その言い訳というか顛末を語れば長くてややこしくなるので端折る。
まだ平成だったころ、日本アルプスの主脈をテント泊で何年かに分けて歩き通すという夢想をしていた。季節は秋。シルバーウイーク後で山上は紅葉の盛りも過ぎて有人の山小屋も閉まり始めるころだ。後立山は唐松岳から槍方面に向けて歩いたが、五竜岳の山頂を踏んでからの数日間、鹿島槍ヶ岳、針ノ木岳、烏帽子岳と天候に翻弄されながらも誰にも会わずに静かな山旅を堪能していた。
立ち寄った小屋閉め前の烏帽子の小屋ではカレーライスなら出せるというので味気ない自炊からの解放と注文。大いに胃袋を満たしたなあ。
その時、山口弁丸出しのおじさん登山者が荷物を背負って入ってきた。聞けばお隣の下松からとのこと。名前は聞いていたがその後すっかり失念していた。その翌年、本紙「おじさんも頑張る!№161」(平成28年8月26日)でこの出会いを写真とともに紹介した。
それを読まれた氏が新周南新聞社を通して連絡して来られ1年ぶりに再会を果たすことになる。松田さんというが、以来、我が家に立ち寄られて山談議に花を咲かせ、電話で次なる山の話に盛り上がることもある。昨年は北アルプスの黒部源流の山々を歩いたとのことで、雲ノ平から水晶岳望む写真を大伸ばして額に入れて頂き居間に飾って毎日眺めている。
思えば北アルプスも辺境に近い場所でほんの数分間たった一度の偶然の出会いだったが、こうして何年にもわたる関わりが出来るなど山が取り持ってくれた有り難い不思議なご縁に感謝だ。
会う度に「有朋自遠方来 不亦楽乎」を思う。下松は遠方ではないが、心の中では北アルプスも最奥の烏帽子岳からやってきた友であり「また楽しからずや」…だ。

もう8年も前になるが後立山を槍ヶ岳を目指して歩いた=針ノ木岳を振り返る

烏帽子小屋で出会った松田さん=山口弁丸出しで…

雲の平から水晶岳を望む写真を大伸ばしにして頂いた
