コラム・エッセイ
「走れ!おじさん〜復活なるか…出会いの妙」
おじさんも頑張る!~山の話あれこれ~ 吉安輝修50歳も半ばを過ぎてランナーの真似事を始めた。目的は?と問われれば大好きな山歩きのためのトレーニングだということにしているが、今思えばいろんな出会いがあってたどり着いた結果だとしみじみ思うことがある。
そもそもスポーツ全般について昔から興味関心がない。「大鵬柏戸卵焼き」ではないが、周囲が野球やサッカー、相撲、マラソンひいてはオリンピック等々、他人が行う行為に対し身内や知り合いならともかく赤の他人が勝っただの、負けただのと口角泡を飛ばして評論し、贔屓が勝てば大興奮。
負ければ不機嫌があからさまに顔に出るほど熱中というか心酔できることが不思議でもあり羨ましくもあった。
ましてや、この世に市民マラソンの大会があることは知ってはいたが自分には無関係の他人事だと思っていたし興味など全く無かった。
そうはいっても、流行などに無関係で山中で人を避けるような偏屈で自分流の山歩きだけは細く長く続けているが、それでも偶然の出会いが意外な方向とスピードで進化していく妙を感じることがある。
もう随分と前のこととなるが、山つながりで沖縄の宜野湾山岳会を主宰していた故宮城正夫氏「マサさん」と懇意となり、彼の誘いでNAHAマラソンに出たのが本格的?なランニングとの出会いだ。
結果はいつも散々だが、誘われるままに毎年のように沖縄に飛び、彼の家を定宿として完走祝いだなんだとこじつけて酒を酌み交わすことが恒例行事となりそれが楽しみであり目的だった。
でもさすがにフルマラソンとなればいきなりは無謀ということも学び、我流でトレーニングと称して家の周りを走ったり、近場のレースにも出ていた。
ところが数年前に彼の突然の訃報を受けた。長らくの闘病も他人には絶対に知らせるなという家族への厳命で、まさに青天の霹靂でショックも大きかった。
折しもコロナ騒動とも重なり、NAHAマラソンはじめ各地のマラソン大会もことごとく中止となり、ランニングはもとより、山歩きからも遠ざかっていた。
ようやくコロナも落ち着き各地のレースも再開し始めた。それならと多少の躊躇はあったが12月に開催される「萩城下町マラソン」に先般エントリーし、久々に家の周りを走ってみた。4年前にはまだまだもっと軽快に走れていたが、意に反して足が前に出ないし走り続けることさえ出来ない。こんな筈はないと翌日も走るがやっぱり無理だ。もう終わったかな…と“棄権”もよぎる。
そんな時に「ひらちゅうランニングクラブ」とのご縁を頂いた。自他ともに認めるジコチューに集団行動など無理と承知だが、コーチの岩崎氏のランニングへの真摯な向き合いに襟を正し、代表の平野忠彦氏の小中学生のジュニアメンバーへの講話にも心を動かされた。
何事にも全力で徹底的に取り組む姿勢を「そこまでやるか!」と結ばれて勇気も出た。「マサさん」への鎮魂もあるが、自分の可能性を信じる契機ともなったし、出会いの「妙」も感じる。

マサさんとのご縁で毎年のようにNAHAマラソンを走った:結果は毎回散々だが…

ひらちゅうでは子ども達にランニングを通しての人間教育をしている

久々に走ってみると意に反して足が前に出ないし走り続けることさえ出来ない
