コラム・エッセイ
「それでも秋はやってきたが…」
おじさんも頑張る!~山の話あれこれ~ 吉安輝修本当に長く暑い夏だった。体力も気力も萎えるような酷暑続きに秋の到来をどれだけ待ち望んだことか。10月も半ばになってようやく解放されたが、昔の季節感や歳時記など全く通用しない現実に不安というよりも末恐ろしささえ感じる。
先日も季節外れの大雨が降って市内あちこちで避難指示が出た。ダムの下流域に暮らす者としては河川水位が気になり、ダムへの流入量、貯水率、放流量の推移に目が離せなかった。
一時は毎秒700立方メートルを超える流入があったが知る限りでは過去最大で緊急放流も覚悟していた。幸いにも至らなかったが、後1時間も降り続けていたらひょっとして家が水に浸かっていたかもしれない。
何でも富士山の初冠雪は平年よりひと月以上遅く、統計を取り始めてから一番遅いという。そんな話題を連日のように耳にする。やっぱり何かがおかしい。というよりも完全に狂ってきている現実を見て見ぬふりはもうできない。
世の学者先生達は気候変動、温暖化、沸騰化と次第に語気を荒げて早急な対策を促すが、世界中で終わりの見えない紛争が続き、覇権争いもますますエスカレートするばかりだ。
これではお先真っ暗か…。SF映画の地球で人が住めなくなって月や火星に移住するストーリーは現実になるのかもしれない。もっともその宇宙船に乗れるのは極々一部の権力者と大富豪だろうからやっぱり夢物語だ。
それでも遅ればせながらでも秋はやってきた。昔から柚子はほぼ放任状態でも毎年実をつけるのを見てきて省力で経営でき、里山の復元ができるならなお良しと、荒れた山を開墾し柚子の苗を毎年植え続けてきた。ここ数年である程度の量を収穫できるようになってきて今は収穫最盛期だ。
しかし、この夏は酷暑に加えて極端に雨量が少なく昨年よりも収量は落ちる。昔の感覚なら夏には夕立が付き物で自然と適度に水が供給されていたが、近隣の地区では降ったというのに須金の上空は雨雲が避けるように通り過ぎていった。
谷川が近い畑はポンプで多少の潅水はできたが、まさに焼け石に水で翌日にはカラカラだ。山手の畑は天水だけが頼りで葉も丸く縮まり悲鳴を上げていた。
明日こそは降るだろうと天を仰ぐが、とうとう苗木の数本は葉も黄色に変色して樹勢も弱り切ってしまった。これでは全滅になるかもと畑にタンクを据えて水を貯める作戦に出た。
水源から高低差もあり距離もあるので小型の可搬ポンプでは歯が立たない。ポンプで水を汲んだタンクを運搬車で運んで移し替えるという非効率極まりない方法しか思いつかず、益々手間と費用がかかる現実に頭を抱える。
自然の力で恵を得るのが本来で、それを期待し目標として取り組み始めたが、今はエンジンポンプで水を汲み、ガソリンを燃やして山の上に運び上げるなど、益々の温暖化に加担しているのではないかと少々の罪悪感が頭をかすめる。

「それでも秋はやってきてユズが実った」

「天水頼りは限界でタンクを設置したが…」

「酷暑の中を草刈りの省力化で牛たちが大活躍してくれた」
