コラム・エッセイ
「2月1日の雪に思う」
おじさんも頑張る!~山の話あれこれ~ 吉安輝修2月1日のことだ。所用で徳山に出かけた。車で帰路についたのが午後4時過ぎで冷たい雨が降り出していた。国道315号線を須々万に向けて登っていると、雨がミゾレに変わりさらに雪となって周囲の木々が見る見る白くなってきた。標高の高い須々万は既に白銀の世界かと恐る恐る杉ヶ峠トンネルを抜けると意外にも積雪がない。やれやれ一安心だ。しかし菅野ダムあたりから雪が強くなり道路にも積もり始めた。いわゆるシャーベット状でハンドルを取られる。さらに進むと重い雪が道沿いの樹木に積もって傾き始めて道路の一部をふさぐようになった。それを避けるように車線をまたいで走っていたが、ついに雪の重みで倒れた竹などが両車線をふさいでしまった。対向車もなす術もなく立ち往生だ。土曜日となれば関係機関の救援などすぐには期待できない。
そうだ。後ろにチェンソーを積んでいた。カッパも無ければ長靴もないので降りしきる湿雪とベチャベチャに積もった雪の中に出ると瞬時に氷水に足を突っ込む状態になることは予想できた。覚悟を決めて外に出る。切っては片付けを繰り返して何とか片車線分を確保した。さらに進むとまた倒れた竹が両車線をふさいで対向の車が進めずに何台も停まったままだ。もう全身ドロドロで震えているがこのままでは家に帰れないと、やけくそでまた飛び出しては切って片付けるのを繰り返して何とか帰宅。一つ言わせてもらえば善行したなどとは全く思っていないが、対向車も後続車いずれの車中の人は誰一人降りて手伝おうとはしないし窓を開けて頭を下げる人もいなかった。せめて切った竹の一本でも片付けを手伝ってくれれば助かったし早く済んだけど…。
翌2月2日は須金だけでも何か所も周辺集落への道が倒木で不通となり、停電や携帯電話が通じないなどあちこちで障害が出ていることが分かった。その集落はほとんどが高齢世帯ということもあり、安否確認はじめ関係機関は随分と骨を折られ、須金市民センターは避難所を開設するなど災害級の対応だ。
しかし、予想できない突然の重い雪が降ったのは確かだが、過去にもこんな雪は何度も体験している。そんな時でも何とかしていたのが我々田舎に住む住民だったではないか。そう。山は手入され、道の整備も集落単位でしていたので道幅も広くて倒木のリスクも少なかったが、力自慢やチェンソー作業などお手のもののおじさん達がいた。そう。マンパワーと「もやい」があった。ところが、放置され荒れ放題の林野と高齢化で限界集落という概念をとうに超えた現状ではそれを期待して解決するのは厳しい現実にも気付かされた。
各地で頻発する災害で大きな被害が出る度に個人や地域での防災力を高めようと叫ばれるが、まずは自助が基本なのは言うまでもない。ますます縮んでいく社会の中で地域の共助力などは余程の覚悟とあらゆる垣根を越えた連携を模索しないと絵に描く餅の形すら思い浮かべられないのではないか。
食材は提供するが火がつかなかったらそれまでという設定は大人も本気になる。

周辺集落へ通ずる道は何か所も倒木で通行止めとなった

我が家の植えて数年目のユズの若い木の枝も雪の重みで折れてしまった
