コラム・エッセイ
「走れ!おじ(い)さん2025〜振り出しに戻ってしまった」
おじさんも頑張る!~山の話あれこれ~ 吉安輝修長らくの勤め人を辞めて農林業の真似事を始めて久しい。歳時記通りにはならないし晴耕雨読も叶わないが、ガチガチに時間の制約があるわけでなく、わずらわしい世間体や対人関係で気を揉むこともなく、季節を体で感じながら天気予報を眺めながらマイペースで作業予定を組んでゴソゴソ動くというストレスフリーの日々だ。
そんな暮らしでも夢というか目標がある。毎年10月末から4月末頃までの半年間はマラソンシーズンでランナー?の真似事をする。コロナ禍の約4年間は完全に中断していたが一昨年から再び走り始めた。このブランクは当然のことながらそこそこだった走力はリセットされ、わずかな距離を走り続けることができないほど落ちていた。それでもボチボチと走っているとハーフマラソンを完走できるまでに復活した。それならと欲が出て1キロあたり5分で走れるようになるという密かな目標を立てそれも叶った。
ところが昨年の夏は重度のぎっくり腰と秋にはふくらはぎの肉離れで歩くことさえ苦痛な数か月となった。当然振り出しに戻ってしまったが、努力?の甲斐もあって今年になって徐々に回復し3月9日にあった「つわのSL健康マラソン」のハーフの部で1キロあたり4分40秒を切って走りきれた。
つい先日の4月27日は今季のマラソン大会のエントリーでは最後となる「よしか・夢・花マラソン」の10キロの部では4分20秒代で走ることができた。
コロナ前のベストには及ばないが、加齢とブランクをも考えればまあまあの成果だと自己満足。次はいよいよ本命の山に足を向け5月の末にはくじゅうの山々をMっけたっぷりに歩こうと地図を眺めていた。
4月30日のことだ。作業中に足元の見えないヤブの中を歩いていたが、凹地に足を取られて大袈裟に転倒してしまい運悪く右脇を隠れた切り株で強打してしまった。その日の晩は風呂で黒アザの脇をさすりながら不注意を反省。翌日は痛いながらも動けたが、なぜか二日後の朝、とんでもない激痛で布団からどうしても起き上がれない。
女房に手を貸してくれと頼んで力任せに引っ張られると気を失いそうなくらいの激痛で「もういい。自分で起きる」と七転八倒の末に起き上がったが、これは今まで経験してきた打撲とか打ち身のレベルではないと迷わず整形外科を受診。
レントゲンの画像には肋骨がポッキリと折れ、しかも骨一本分ずれた状態が写っている。痛みが取れるのに一カ月。骨が融合するのに三か月との診断で、治療は内臓に損傷が無ければバンドで固定して時間が薬だと言われて湿布だけ貰って帰宅。
くしゃみに青ざめ、寝返りも打てず、寝床から起き上がるのが朝一番の大仕事では背に腹は代えられぬと、いずれ近い将来必要になるものだと電動で上半身を起こしてくれる介護ベッドを購入。
年寄りでも目標を持ってコツコツとやっていれば必ず成果は出る!と、体感した矢先にまたまた振り出しに戻ってしまった。
