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【周南】三坂神社から戦死の父の写真 81年前奉納、蔵角さんに届く
地域周南市周南市羽島の蔵角修治さん(86)のもとに山口市徳地の三坂神社(江端希之宮司)から、80年前の1945年2月17日にフィリピンで、37歳で戦死した海軍上等水兵だった父、蔵角元熊さんの写真が届いた。
蔵角さんは写真を手に「鞄に入れて、一緒に旅行に行けば供養になるのでは」と話している。
同神社は「弾除け神社」として知られ、武運長久を願ってたくさんの人が出征時に写真を奉納。現在は残された2万5千枚の写真を返却する活動に取り組んでいる。
元熊さんは同市和田の升谷で農業をしながら郵便局に勤めていた。修治さんの実父の弟にあたるが、子どものころに修治さんを引き取り、育てていた。
出征は1944年8月。修治さんが小学校に入る前だった。招集されて呉海兵団に入った。間もなくフィリピンに派遣され、戦死したとしかわからず、戦後に遺骨を渡すという通知があって受け取りに行ったが、白木の箱の中は木の札が入っていただけだった。
その後、フィリピンでの戦いの著書がある人と知人になり、その人の尽力でマニラ湾のコレヒドールで戦死したことがわかった。
写真の返却のきっかけは今年の4月29日に山口市の山口県護国神社で開かれた慰霊祭。参列者受付のそばに写真返却を希望する人のための三坂神社の受付があり、修治さんは名前や住所を記載。5月7日、81年前に奉納された写真を手のひら大に伸ばした写真と、三坂神社からの手紙が届いた。写真は私服で中折れ帽をかぶった姿。修治さんによく似た元熊さんが写っていた。
修治さんは戦後、和田中を卒業したが、経済的事情から高校には進学できなかった。オート三輪の運転免許を取得して、集めた米を届けていた酒蔵の主人の紹介で日新製鋼に入り、60歳の定年まで勤めた。その後も地元の企業で70歳まで働いた。
クレー射撃など趣味も多く、新南陽若山ライオンズクラブはいまも会員。升谷の実家近くの水田40アールを現在も耕作し、収穫した米は地元の特別養護老人ホームに届け、山口県護国神社にも奉納している。「近く三坂神社にも参拝したい」と話している。
