コラム・エッセイ
No.100 戦後80年考3の2・ファシズムに協力した国民は戦後の「正義の逆転」のなかで戦前の検証などできなかった
独善・独言前稿では…戦後80年の本年夏、多くあった戦争関連話しをA表5つのテーマに分類した。そして、そのなかで㊄にあげた戦争の要因分析がなされていないことを指摘し嘆いた。本稿ではそのなかで「国民はなぜ政府に協力したか⇒踊らされたか」にアプローチしてみたい。
5つほど余聞を書く。
①朝ドラ「あんぱん」の中で主人公の暢(のぶ)は、戦前の教師の自分が担った軍国教育を戦後『まちごうとりました』と生徒に謝って教師を辞した。その後は夫と共に「逆転しない正義」を追い求めた。
②戦前に村長をしていた私の祖父は「大政翼賛会」の、祖母も「愛国婦人会」の、それぞれ地域リーダーとして赤紙で出征する多くの若者達を「讃えて送る」役目を果たした。
③歴史研究家半藤一利は国民の戦争協力は『決して一部の軍人、政府に無理矢理引っ張られたのではない、受け身ばかりでない』と記している。
④前回示した奥田英朗の小説「普天を我が手に」では真珠湾攻撃に歓喜する大多数の国民の熱狂を、混じりけなく勝利を信じているものであるものとして取り上げている。
⑤知識人小林秀雄は従軍記者をするなど戦争追従した戦前の自分に対して「僕は無智だから反省なぞしない」と開き直った放言をしている。
①の「あんぱん」は単に漫画家の一生でなく、自らの戦争責任から目をそらさずに戦後を生きてきた夫婦の物語。戦後80年というテーマに真正面から取組んでおり胸をうった。
②私の祖父は戦後公職追放になった。小学校に入る前に亡くなった爺様の話は記憶しようもないが、昔話が好きな祖母はこの戦争の何年かに関してはほぼ触れることはなかった。息子4人が出征して期待一番の長兄を亡くした戦争被害者である婆様は、戦争を恨み尽くしてもよかったはずだが、愛国婦人会のリーダーとして戦争協力に尽くした身としては、自分なりの“戦争責任”を受け止め続けたのではあるまいか。
結局③や④のように社会情勢を正しく理解できない多くの国民は、ファシズムに迎合した自らの行為に悔恨の思いをもった。また、戦後、正義の逆転に同調することにも面目がたたないとの呵責があった。
だからこそ⑤の小林秀雄の放言は「戦争に協力した国民の自責感情、意気消沈に対してエールを与えようとした」のではないか…小林秀雄を知らない私の解釈は無智すぎるか。
私のこの「戦後80年」のテーマはA表5の『敗戦に至る検証、戦争責任の追及』にあるが、以上の国民感情のなかで⇒自らを戦犯と責めるなかで、この検証や追及の機運が本格化するはずもなかったのではないか。
同様なことが報道機関にもいえよう。戦前の戦争高揚への扇動や、政府の手先に陥った虚偽の戦局報道、また戦後の不見識な転向⇒正義の逆転者に戦争責任の追及することなどできるはずもなかったのではないか。
しかし私は報道に期待する。A表㊀から㊂の悲劇の押し付はもう充分である。戦争体験者が少なくった、戦犯意識がなくなった今だからこそ、敗戦までの要因追及を主導してほしい。そして、その対象範囲を維新以降の歴史に求めてほしい、武士道や神国思想にも触れてほしい、戦犯を自国の判断で裁いてほしい。
時間がかかってもよい、戦後100年がメドでもよい。世間を動かしてほしい。これこそが国民を裏切った報道の自らの責任の処し方であると思うし、戦争で誰も死なない国をさらに100年継続するための要諦になると考える。
併せて報道にお願いしたいこと。なぜ国民は扇動されたのか、④のように真珠湾の勝利になぜ歓喜したのか。我々を簡単に躍らせることのできる仕組みとは何なのか。それは、SNSで選挙を動かす程度のことではあるまい。『二度と同じ間違いを繰り返さないために』。
…どうでしょうか。

