コラム・エッセイ
No.103 私話し10・私は美祢市の実家を「家じまい」した。父母に感謝しながら、先祖に詫びながら…
独善・独言今回から隔週にさせていただいた。この機会に2点ほど確認させていただきたい。
ひとつ、これまで読者の方からいくらかの批判をいただいたが…「私はこう思うがどうでしょうか」という一視点を示しているだけで、自分が絶対的に正しいと主張してわけではない。ご理解いただきたい。最近若い経営者の方から『阿武さんの指摘にはそんな見方もあるのかと再考させられる機会になる』と告げられた。我が意を得たとウレシクなった。今後もこのスタンスで臨みたい。
ふたつ、こうして100稿を越えてくると、①以前と似通ったテーマを取上げたり、②同じ表現や主張を繰り返すことがでてくる。その場合でも「○○稿でも述べたが」というようなコトワリは省かせていただく。
㊀この夏、美祢市の空き家であった実家を売却、“田舎じまい”をした。直接の要因は栗山や田んぼの草刈り作業が負担になった⇒危険を感じる事態が増えたことによるが、真因は後継者がいなくていずれ解体か売却かを迫られていたことにある。あちこちで見られる屋根が落ちたり、草に飲み込まれた“故郷の廃家”にしたくないという切実な思いがあった。
我が家は江戸時代建築の百姓家である。蔵や門も併設しており、解体すれば相当額の出費が見込まれることも気持ちを重くしていた。
㊁購入してくれたのは下関市のイノシシやシカを狩猟する猟師夫婦である。犬を自由に飼える山間部の家を探していたとのことである。歳は地区の家長では圧倒的に若い45歳、農作業の働き手として営農組合の幹部が大いに期待を寄せている。
また、美祢市の「空き家バンク」制度を通じて成立した売買で、補助金の利用を含めて行政の思惑通りの「移入促進策」の成功例といえる。
㊂私はこの売買でいくらかの収入を得ることになった。一方、家じまいに伴う出費もそれ以上にあった。
まず家具や農機具の処分である。古い家なのであふれるほどのものが出てきた。蔵の奥にあった文久〇年とあった婚礼や寄合時に使っていたお膳やお椀は傷みがひどかった。父の書き物、母の包丁などの生活道具、家族旅行のみやげ品などなどを手放すことはまことにつらかった。
さらに先祖伝来の仏壇、曾祖父からの遺影、500年以上前からと思われる位牌…これらを檀那寺のご住職の読経をいただきながら、また、招いた従兄妹家族に見守れながら焼却した。
これらの処分は精神的に追いつめられた。2週間ぐらいは寝ていてうなされた。朝昼晩自宅で過去帳を開き手を合わせ先祖に詫びている。
㊃A表は空き家の状況を示している。山口県の空き家率が20%という。5軒に1軒は空き家であることに驚いた。そこまで極端な状況なのか。
この空き家の所有者のほぼ全員が「実家をどうにかしたい」という思いを持っている、別のことばでいえば、常に心の奥底で「早くメドをたてたい」と重荷に思っているであろう。また、その何割かは手じまいに関わる経費を除けば、タダででも売却したいと考えていると想像する。
行政は空き家対策として、自ら安価で購入して(=損がでない金額で)市場に転売するという業者を巻き込んだ仕組みを考えてほしい。遠方の人間は地元業者と接点がとりづらい。民間依存だけでは事態の改善は進まないと思うが…どうでしょうか。
小学生の私。夕暮れの吹雪のなかを家路に歩む。長靴のなかの足は冷たく凍えている。でも家に帰れば母親が「寒かったね」と手をさすってくれる、豆炭コタツのなかにもぐりこんで待てば蒸しイモがでてくる。もう少しだ、あの角を曲がれば我が家の窓明かりが見える…私はそんな故郷を失った。

