コラム・エッセイ
余人を以て
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子余人を以て代え難いことは幾らもある。美空ひばり(私の年代では、一番わかりやすい例)の公演を「ひばりさんの体調がすぐれないので、今回はこちらの歌手が代行します。曲目は同じですから、問題ないでしょう」は通用しない。公演は中止で、入場料払い戻しとなるだろう。
お客は「ひばりさん」が歌うからやって来るので、他の歌手が歌うのをお金を払って聴きたいとは思わない。芸能・芸術・技能・学術の分野では、その人でなくては出来ない、その人でなくてはならない「余人を以て代え難い」ことがほとんどで、そしてその業績は一代限りとなる。
しかし、社会の日常を動かす業務が「余人を以て代え難い」ものでは困る。他の人には出来ないようなレベルの作業が前提となる事業が継続できるはずがない。もし小型カメラのレンズが特定の個人にしか作れないものだったら、カメラ内蔵スマホは商品化されなかっただろう。製造担当者が変わっても安定して供給できる状態にある、「余人を以て代えられる」から、商品化出来たのだ。
国の事業の運営については、法や規則・規準、マニュアルや慣例があって、それに従って事業が運営され受け継がれてゆく。もしも事業で必要な業務が「この人でなければ出来ない」ものであったら、その人の事故・怪我・病気・その日の気分のありようで業務はその度に滞り、定年退職は国家の終りを意味するからさせられない。どんな不行跡があろうとも懲戒免職の処分など出来ない、となるのだが、知る限りでは、そんなことは起こっていない(政権担当者が国を亡ぼしたことはあるが)。
でも、こんなことは経験している。現在携わっている受託事業では、申請や打ち合せ・報告で官庁の窓口を訪れることが多い。その時窓口の担当者が、気心が知れ事業の内容にも精通した人であったら、心地よく仕事もはかどるから、この人が他の人に代らないでいて欲しいと願う。その業務は他の人でも出来るのだろうが、私にとっては、他の人に代わって欲しくない。すなわち、「余人を以て代え難い」のではないが「余人を以て代えられては困る」ということだ。
思うに、脱法の疑いのかかるリスクを冒してまで某検事長の定年延長をしたかったのは、その検事長が「余人を以て代え難い」人物だったからではなく、「余人を以て代えられては困る」人物だったからだろう。
なぜ代えられては困るのか?それは定年延長した人に聞くしかないのだが、聞かれてもまともな答はないことは、これまでの事例をたどれば明らかなことで、新型コロナウィルス対策で国民難渋の中、こんなことでいいのだろうかと、私も思う。
(カナダ友好協会代表)
