コラム・エッセイ
紅葉泥棒
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子師走の訪れにふさわしい寒さが日本中を覆った朝のニュースで、京都の建仁寺で紅葉の枝が無断で切り取られるという被害があったことが報じられた。
紅葉の名所として知られる同寺で2人の男が夜陰に乗じて寺のフェンスをよじ登り、見事な紅葉の枝を何本か(5本と報じられていた)切り取る様子が防犯カメラに撮られ、持ち帰ろうとしたところを取り押さえられたそうだ。寺では被害届を出したそうだから、窃盗事件となるのだろう。
犯人達は2つ星だか3つ星レストランの料理人で、店の料理を彩る材料とするために欲しかったのだという。深まる日本の秋を黄色い銀杏と共に象徴する赤い紅葉は、食膳の料理を舌ばかりでなく目でも味わい深くさせる触媒として、客をもてなす料理人が愛用する素材だ。
でも、なぜその料理人が夜陰に乗じてフェンスをよじ登る?ふと見上げ、ここでしか見られないような見事な色と形の紅葉が目に入り、その美しさに思わず手を伸ばすという気持ちは分からないでもない。
しかしフェンスによじ登りしかも5本もとなると確信犯で、被害届を出されても仕方がないだろう。紅葉の枝は1本千円くらいで取引されているそうだから、都合数千円分を無料調達したことになるが、彼らが本当に料理人だったのなら、結局自分たちの腕を振るう機会を失い、それを知った客を失い、報道で特定された店も評判を失いで、数千円と引き換えに三者大損の結末となった。
この話を聞いた家族で出てきた言葉は「欲しかったのなら、なぜお寺に頼まなかったのだろう。それで断られたら一枝千円で買えばいいだけのこと。」これで終わり。「天知る地知る、子知る吾知る」古来、悪事、秘事はどんなに隠しても必ずバレるもので、ましてや感度のいい防犯カメラがいつでもどこでも見張っている今の世では、夜陰密かには通じず、敢えなくご用となったこの事件。
国会でも大臣辞任を巡って同程度のレベルの攻防議論が交わされていて、師走の扉をコロナ禍再来に加えてうんざりする話題で開かれるのかと気の滅入る思いだったが、WCサッカーでのスペイン戦の快挙で一発逆転。
昨年以来の大谷選手の活躍に劣らず、日本全体を明るく元気にしてくれた。癒やされた思いで翌日訪れた和食のお店。美しく盛られた皿に添えられた、いろは7文字の見事な紅葉が2葉。紅葉と山茶花で知られたこの店ではどこかの紅葉を無断で失敬する必要はない。
京都の件の料理人達も心はきっと通じるものがあったのだろうが、寺の紅葉の枝に手を伸ばす前に、その後のことを想像する習慣を身につけておけば良かったのにと思う。
(カナダ友好協会代表)