コラム・エッセイ
希望のカレンダー
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子新年早くも2月。ロシアのウクライナ侵略1カ年。人の営みに関わりなく、時は確実に過ぎてゆく。
学校があり、勤めがあった若い頃なら、今日が何月何日であれは何日前のことだったか確かめるのに苦労はなかったが、学業を終え、通勤から解放された生活を続けていると、月日は不規則に過ぎて行き、ふと数えて驚くことが多くなった。
そんな中で時の経過を確実に感じさせてくれるのは、私にとってはこの原稿書き。毎週金曜日になると翌々週分の原稿の材料を決めてパソコンに向かうのだが、その度に1週間が過ぎたことを実感する。
わが連れ合いにも同様に時の流れの一里塚(一歩塚くらいか)があるという。それは何かと尋ねると、服薬用の薬ケース。
昨年の脳梗塞発症以来、毎日朝7種、夕4種の服薬が欠かせなくなり、1週間分の曜日毎の錠剤を薬ケースの区分に分配して、毎日服用している。最後の1区分が終わると、空になったケースを見て、1週間が過ぎたことを実感しながら次の1週間分を満たしてゆく。
ある日、空になった1週間分の四角い区切りが並んだ薬ケースを見ているうちに突然話が10数年前にさかのぼった。
定年退職後、我が家に陣取って近くの子ども達相手の学習指導を楽しんでいたわが連れ合いが子ども達への誕生日祝いにと思いついたのが「命のカレンダー」。
白紙一面にグラフ用紙のように方眼を描いたものが3枚1組。1枚には365日30年分約1万個の小さなマス目があって、3枚で計90年分。1枚目のマス目はその子の誕生から今日までの日数分が赤く塗りつぶしてある。
「今日からこの後毎日1マスずつ塗りつぶしてゆけば自分がどのくらい生きてきたか、あとどのくらい時間が残っているか一目で分かる」「生きている人にとって一番大切なものは時間だから、これを見ながら1枚目には何をしよう、2枚目には、3枚目にはと考えれば楽しいだろう」「命のカレンダー。いい誕生祝いだろう」と自画自賛していたが、誰も受け取らなかった。
「怖い」というのが受取り拒否の理由だったそうだが、今思うとまさにその通り。3枚目の2/3が塗りつぶされた方眼紙をもらってうれしさなどわかない。空になった薬ケースも方眼に区切られているが、毎週リセットされて新しく埋まるから、終わりは来ない。
どれだけリセットされるか楽しみになる。命のカレンダーも怖くならない工夫をすれば良かった。名前も「希望のカレンダー」として。
どんな工夫になるのかいつ出来るのか予想できないが、それまでは薬ケースのリセット数がますます増えてゆくことを楽しみにしていよう。
(カナダ友好協会代表)
