コラム・エッセイ
傘寿礼賛
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子八と十を合せると略字の傘の字になるから傘寿と言い、七と十と七では崩し字の喜の字だから喜寿、八と十と八では米寿で、九と十では卆寿、九十九は百から一を除いて白寿。どうも後期高齢期の寿称は漢字と数字を無理矢理結びつけたもののように感じる。
人が生まれてこの方、時の経過を記念する言葉を並べてみると、生まれて7日目のお七夜、25日目の宮参り、七五三、15歳で元服(今なら20歳で成人)、40は不惑、60で還暦、70で古希、その後喜寿、傘寿、…で、70まではそれぞれ社会につながって成長する人生の区切りを示しているように受け取れるのに、後期高齢期以降には誰にも当てはまる社会とのつながりが見当たらないから、仕方なく漢字と結びつけたように思えてくる。
もちろんこれは思いつきの珍説の類いで、何とでも解釈出来そうだから、これ以上こだわっても意味のないことだろう。
とにかくその、漢字こじつけ年代の手始めの喜寿とやらを夫婦揃って迎え、祝い膳を囲んだのが3年前。そして先日、次の漢字年傘寿を迎えた。
現実にその年を迎えてみると、我が命よくぞここまで保ったなと、感慨ひとしお。父も母も迎えられなかったこの日に自分がいることに、ただただ感激。だが3年前の喜寿の席ではこの感激は湧いてこなかった。そこが両親の到達できなかった地点だったのは今と同じなのだが、正直違うのだ。
この思いは誰しも同じだなと感じるのは、高齢期を迎えると始まる通過儀礼の賀状欠礼あいさつ。古希を機にという人もいるが、多いのは傘寿を機にという知らせ。古希でも喜寿でも理由は同じにつけられるが、傘寿を機にというのはその人にとって80歳に特別な思いが伴うからだろう。
それは何かと考えると、社会とのつながりを強く感じるかどうかということだろう。数百年も前なら70歳は現実の社会とのつながりは薄れ、古来稀な孤高の存在と自分も周囲も思えただろうが、長寿の時代ではなお現役という状態は十分にあり得る。77歳ではさすがに現役感覚は薄れてくるが、なお余韻を残している。それが80ではもう地から足が離れた実感がはっきりとしてきて、周囲と共に流れていた時間が自分だけを中心に流れていることを感じるのだと思える。
でも私の時間、まだ決して私だけを中心には流れていない。もう50年あまり携わってきた若者支援の活動に、今も多くの仲間と日々関わっていて、まだまだ絆が細まる気配もない。そしてそれを喜んでいる自分がいる。
この気持ちが続く限りは時の経過を漢字に結びつけて確かめるのではなく、世の中とのつながりの強さで確かめられることを目指してゆこう。
そのためにも大切なのは転ばぬこと。手にも心にも転ばぬ先の杖を持って、気をつけながら一歩一歩歩んで行きたいと思う。
(カナダ友好協会代表)
