コラム・エッセイ
ぴんぴんコロリ?
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子3月。年度終わりの決算、締め業務で身も心も忙しいこの時期。今年はこれに加えて来年度の事業入札の準備が重なって、自分だけでなく、周囲を全て巻き込んで、てんやわんやの大忙し。疲労困ぱい状態で、ようやくほっと一息のひとときを迎えた。
気がつけばもう傘寿も過ぎた身、普通なら若い人に後を任せて引退し、それぞれの思いを乗せて活動する姿を隅っこの椅子に背をもたせて満ち足りた笑みを浮かべて見守っているのがふさわしい。自分でも心の中ではそんな姿を待ち望んでいるのだろうと感じはするのだが、我に返るといつもパソコンに向かっているか、打ち合せの電話を握っているかで毎日が過ぎている。
そばで見ているわが連れ合いに言わせると「自分の思いがこもった事業に多くの人に支えられながら打ち込むのは、苦労も喜びに変える充実した人生を送ることにつながるのだが、いずれは自分の思いとスキルを託せるように後継者を育てることが、自分にとっても事業にとっても最大の課題になる」そうだ。
それはその通りで、齢を重ねて行くと気持ちはともかく、体は日に日にがたついてくるのが実感される。何年か前なら思いついたらすぐ現地に出かけて話し合うことが出来たのに、今は電話とオンライン会議がなければ何も進まなくなっている。
取り組んでいる事業は人のつながりが全ての内容なので、現場の空気を肌で感じること、人と顔を合せて語り合うことが重要なことを、それが次第にスムーズでなくなった意識の中で強く思っている。
でもとにかく毎日を忙しくも、まずは充実した気持ちで過ごせている忙中閑のひととき、これも暇を得た様子のつれ合い殿と近くのショッピングモールに出かけた。
道々お互い、健康に不安の種は抱えながらも日々何とか無事に送れていることを喜び合い「このあいだYさんとも話したのだけれど、やはり人生はぴんぴんコロリがいいわね」と言うと「自分が願うなら、ぴんぴんピンだな。どんなにぴんぴんでも、いつかは願わずともコロリになるのだから、願うならぴんぴん、ピンだな。」と言う。
それはそう。誰だってぴんぴんピンがいいのだけれど、無理なことだから、せめて生きている間はぴんぴんでいたいものだというのが万人の精一杯の願いだろう。ぴんぴんピンなんて、分をわきまえぬ過ぎた願いだと思うが、いつまでもぴんぴんでいられるのなら、わたしもぴんぴんピンでいたい。
手を染めたメタバースやアバターで世界がどう変わるのかをこの目で確かめられるなら楽しいだろう。もっとも、核戦争で人類破滅、年金破綻で日本破滅を見るのは願い下げだが。
(カナダ友好協会代表)
