コラム・エッセイ
金は時なり
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子開花宣言が競うように発せられ、満開を伝える桜便りが行き交う春爛漫の候。それは同時に学業を終えた若者達が更なる学びへ、勤労の場へと旅立ちに臨む時期でもある。
今はもう身近に旅立ちの若者と触れることは少なくなったが、我が家で多くの若者達に囲まれていた頃には、卒業の時を迎えた生徒の一人一人に「将来何になりたい?」と尋ね、互いの将来を紹介し合って楽しい語らいのひとときとするのが常だった。
そんなやり取りに突然、違和感を感じたことがあった。もう20年近く前のことで、言葉の一つ一つははっきりとは覚えていないが違和感があまりに大きかったので、ずっと印象深く記憶に残っている。
「将来何になりたい?」「弁護士か医師」「さすがね。あなたならなれるだろうね。どうしてなりたいの?」と、日頃思慮深く、成績も良いその子の優等生の模範回答を予期して尋ねた。
「お金がたくさん儲かりそうだから」と、予想とあまりにも方向違いの回答に、心の中で思わずのけぞった。この子は本当にそう思っているのか?なぜお金をたくさん得たいのか、その時はそれ以上は尋ねなかった。でも今また同じ問いをしたら同じ回答がもっと増えていそうな気がする。
何をするにもお金がかかる。欲しいものを手に入れるにはお金が必要だから、まず金持ちになるのがいいと。
確かにお金は大切だ。チャップリンは言った「人生に必要なもの、それは勇気と想像力、そして少しのお金だ」と。たくさんのではなく、少しの。お金はなぜ必要か?お金は何のためにあるのか?人は一人では生きられない。生きていくのに必要なものは自分で用意しなくてはならない。自分で用意できないものは出来る人からお金を払って買うのだが、そのお金は原料と製品や製造設備をを作るのに使われた時間、それらを作る技術を身につけるためにかかった時間に対して払われている。お金が払われるのはものではなく時間に対してだ。
だから手にしたお金は次には人の時間と交換できることになり、買うということは持ち時間に値段をつけた相手がその時間で用意できるものや働きを自分の持つお金と交換するということで「金は時なり」で、同時に「時は金なり」となる。
だから金持ちとは自分のために使える人の時間をたくさん持っている状態のことで、たくさんあって悪いことはないだろうが、その人の勇気と想像力を活かすに必要なほど少しだけあればいいのだろうと思う。
こんなとりとめもないことを考えながら時を過ごすのも自称多忙な後期高齢者の時折のたのしみでもある。20年経った今では2児の母となっているYさんは、今ならどう答えるだろうか、いつか会えたら、もう一度聞いてみたい。
(カナダ友好協会代表)