コラム・エッセイ
ありがとう、すみません
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子齢を重ねると自分の気持ちと見かけは離れてくることが増え、乗物で席を譲られる事もしばしばになる。
そんな時遠慮がちに、でも有り難く譲り受けて「すみません」と言ってから、ここは「ありがとうございます」だったな、でも気持ちは伝わっただろうからと、そのままで済ませ、違和感も生じない。「ありがとう」と「すみません」感謝の気持ちを表す言葉として、話し言葉でも書き言葉でもほぼ同じように用いられている。
これが英語の世界なら「ありがとう」は「サンキュー」で「すみません」は「アイム ソリー」となるのだろう。サンキューは感謝の言葉だがアイムソリーは「ごめんなさい」で、忖度すれば感謝に通じるかもしれないが、言われた相手には感謝の気持ちは伝わりにくいだろう。
押し広げて考えれば「すみません」は「済みません」で、あなたのお気遣いを黙ってお受けするだけでは済まないことです。あなたの被った御迷惑はこのまま済ませることは出来ないことですという気持ちを伝える言葉で、だからありがとうございましたと同じ意味を持っていると、言った方も言われた方も理解出来ている。でも違う言葉の間ではそうはいかない。
「すみません」を「thank you」と訳することはあっても「I’m sorry」を「ありがとう」とすることはない。全く別の内容に思える言葉が同じ場面で同じ意味に使われているのはなぜなのか。「すみません」は、私のためにそんな気遣いをさせたことはあなたに迷惑をおかけしたことです。申し訳のないことですこのままでは済みませんという、相手にわびる気持ちが強く働いていると感じる。
物事の感じ方や行動基準は人によって違うのが普通だが、「すみません」と「ありがとう」が同じ意味に通じるのは日本社会では「人に迷惑をかけないこと」が人と交わって生きる上で共通の行動基準となっていることを表しているように感じる。お互いに迷惑をかけないことを大切に思うことは、一見当たり前で、疑問の余地はないように思える。
しかし、誰もが生まれてこの方いくら人に迷惑をかけずと気張ってみても、他の人の心遣いと支えなしには一日も生きられないのだから、他人に迷惑は常時かけているので、それならいつも済まないのだ。
そんな生活の中で周囲の気遣いを感じたり、支援を受けたときには「すみません」よりも「ありがとう」の方がふさわしいと思う。「ありがとう」も、有り難い,こんなことはめったにないことですということで、素直な感謝の表現とは距離があるとも言えるが、ここはこれまでとしよう。
四捨五入すれば一世紀を生きてきた我が人生。残された時間をまだまだ多くの人と接点を持ち迷惑を掛け合ってゆくことだろうが、接点毎に受けて感じた心遣いには「すみません」ではなく「ありがとう」と応じてゆこうと自分に言い聞かせた、令和4年度の終日だった。
(カナダ友好協会代表)
