コラム・エッセイ
コロナが変えた日常
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子新型コロナウィルス感染症が日常の一部となってから丸4年が過ぎた。
最初はチラホラだった電車の座席でのマスク姿がスマホを操る人の数と並ぶほどに増え、外出にはマスクが必須となり、立ち寄り先では手指のアルコール消毒、帰宅したら何を置いても手洗い。
人との交わりは三密回避、会食・談笑は控えましょうは暗黙の了解となった。
何よりコロナウィルス禍で一変したのが会議の進め方。頻発される緊急事態宣言下に必要に迫られて始めたオンライン会議だが、やってみれば場所や時間に余り制約されずに必要な人数が参加出来て、これならこれまでやって来た会議は必要ない。これからは全部これでいこうと思えるようになった。
とかく負のイメージしか浮かばないコロナウィルス禍の影響の中で数少ない正の遺産と言えるものが手洗い習慣の定着とオンライン会議の普及だ。
コロナウィルス禍の終焉の後にはマスク、フェイスシールドは定着することなく、会食談笑人混みも復活することだろうが会議のオンライン化は後戻りすることはないだろうと感じている。
ところで、手洗い励行、三密回避、オンライン会議。コロナ時代の産物とはっきり分かる変化に加えて、身近に感じた変化がもう一つある。
もっともそういう指摘を耳にも目にもしたことはないので自分だけが感じていることなのかもしれないのだが、妙に気になっていることがある。
バスや電車の優先座席の様子だ。何年か前、少なくともコロナウィルス禍発生の前まではこの街の公共乗物で感じていたことは、車中がかなり混み合っているときでも優先座席は空いていることが多かったことだ。それはわが連れ合いも感じていたらしく、時折感心して話題にすることもあった。
敬老の伝統なのだろうか、学校や家庭での教育の成果なのだろうかと。しかしいつからとははっきりしないが、このところ変わってきている。優先席が、どう見ても若い人で占められていることが多くなっていて、先ず譲られることがない。
疲れていれば楽にしたいし、空いていれば座っていたいことは自然なことで、非難されることではないし、偶々そういう状態に居合わせることが重なっただけかもしれないが、以前には感じなかったことを観じることが多くなったのは、コロナウィルス禍中の社会変化なのかもしれないと思った。
コロナウィルス禍と優先座席の空き具合、何か必然的な関係があるのか、ほんの少し気になっている。あるいは寄る年波が体を休める空席を求める気持ちが年ごとに強まっていることの表れに過ぎないのかもしれない。
案外これが正解なのかもしれないと思う、傘寿老人のつぶやき。
(カナダ友好協会代表)
