コラム・エッセイ
指差呼称
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子新年度の始まり。入学式、入社式を終えて、学校で、会社で新しい生活のスタートとなる若者、同じ頃、慣れ親しんだ職場や仲間に別れを告げ新たな社会生活のスタートを切る定年退職者。様々な人が、様々なところで様々に動き始めるこの時期。
人の誕生、朝の目覚めにも例えられる季節だが、新しい人の動きが始まるときは交通事故の起こりやすい時でもある。新生活が始まった途端に交通事故で活動ストップでは目も当てられない。我が世を全うするためにも、健康第一、安全第一だ。
横断歩道を渡るときには、右見て左見て前見て、周りの安全を確認して、手を挙げて。自分が運転するときには信号確認、車間距離を十分に、横断歩道は一旦停止、交通ルールをきちんと守るのだ。被害者になっても加害者になっても取返しはつかないから、事故に遭わぬよう、事故を起こさぬよう、「注意一秒怪我一生」の気持ちをゆるがせにせず、仕事の思案やスマホ画面に優先させた緊張が必要だ。
一人での移動にも安全への細心の注意が求められるが、ましてや大勢の乗客の命を預かる交通機関の運転者ともなると、運転の安全には最善最高の配慮と技術が求められる。何があっても「うっかりしていました。済みません」では済まない。不可抗力であっても言い訳できない状況がやってくる。自分のためにも乗客のためにも事故は絶対に起こしてはならないのだ。
事故を起こさないための運行マニュアルが作られているが、マニュアルは時々テストされ合格点を取れば良いというものではなく、常時満点でなければならない。でないと安心してバスには乗れない。
バスに乗るたびに目に入るのは運転手さんが乗客の乗り降り、出発の時運転席やミラーを指して何かつぶやいていること。指差呼称。安全運転マニュアルに定められた安全運行のためのチェック箇所と作業を確認しているのだ。
どの停留所でも同じ動作が繰り返されて、毎日数多くの停留所で繰り返すのは大変だろうから、省略することもあるのではないかとかなり注意して見ているのだが、どの運転手さんも、はしょったりはしない。声の聞こえないことはあるが、同じ所を同じように指差している。
そんなある日に乗ったバス。停留所の発着のたびに大きな声がバス中に響く。声の主は坊主頭に刈り上げた初老の運転手さん。運転席の操作箇所、ミラーに映る乗降客の状態、周辺の安全、一つ一つ指差しながら大声で確認している。聞いていて爽快だった。
安全確認のための指差呼称なら、自分に聞こえさえすればいいから小さな声で十分だろうが、この運転手さんは乗客の安全のために一瞬も気を抜くことなく運転しているのだということが乗客全てによく分かった。この運転手さんなら事故を起こすことはない。今度この運転手さんのバスにいつ乗り合わせるのか、楽しみに心待ちしている。今日も1日お元気に。
(カナダ友好協会代表)
