コラム・エッセイ
米余り?
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子「我が家の食品庫には米は有り余っていて、売るほどある。私は米を買ったことなどない」
誰が言った?現職農水大臣。正に時宜を得た問題発言。なぜ今、こんな時期にこんな発言が?本人以外、誰が聞いても不適切だろう。
市場では米不足が続いていて、米よこせの大合唱に応じて政府備蓄米を30万トンも放出しても、一向に市場に届く気配はなく、価格も下がるどころか、不足の継続を見越したか値上がり継続状態で、日本国中日々の関心が、買いたくても買えない値段の高さと量の不足に向いて、米の話題には敏感になっているところに、庶民感覚を逆なでするような発言だから、ご本人の真意とペアになることなく、一瀉千里の勢いで日本国中を駆け巡った。
ご本人の言いたかったことは、備蓄米の大量放出にもかかわらず市場に流通が遅れているのは、玄米状態の備蓄米を精米して白米にしてから市場に届けるので、時間と手間がかかっている。玄米で流通させ、購入後精米するようにすればスムーズに市場流通し、量も価格も適正化が図れるのではないかということらしく、それはそれで一理ある。
実際には思い通りにいかないこともあるだろうが、一笑に付される考えではないと思え、個人のアイデアの範囲かもしれないが、担当大臣の発言として、合理性もあろうと評価は出来る。
しかし、それと冒頭発言の内容は全く結びつかないし、必要性も意味も無い。事実だったのかもしれないが、全く不用意な発言で、聞く者全てが「言わずもがな」と思ったことだろう。早速に上司からきついお叱りがあったという。当たり前で、庶民の、庶民でなくても聞いた者誰しもの、理屈抜きに怒りを買う言葉だから、このままにしておくと、このあとまもなくに迫っている国政選挙の投票結果に直接影響することは明らかで、厳しく叱られるのは当然なのだ。
発言の報道を受けて政権野党からも一斉に非難集中で、ご本人も上司も針のむしろの心境だろうが、自ら播いた種の始末はきちんとつけなければならない。だが。庶民の怒りの代弁のような野党からの非難の中にも「何でこの人がこんなことを」というものもある。
ある有力野党の幹部氏。目玉をかっと見開いて激しい口調で非難の言葉を並べた。だが、この人かつて自分が担当大臣であった貿易交渉について、「日本が交渉に参加出来ないのはGDPの1.5%にしかならない農業分野が反対して邪魔するからだ。これは国益に反することだ」と農業分野は日本国にとって邪魔だと言い放った人だ。
この人自分の発言を覚えていないのだろうか、覚えているが自分の言ったことがこの度の農水大臣の発言と比べても、どれほど悪質か理解出来ていないのだろうか。こんな人が大臣や幹部を出来る野党にもなかなか政権は任せられないと感じた失言騒動。許せる失言ではない。が、失言批判も筋を通してぬかりなく。
(カナダ友好協会代表)
