コラム・エッセイ
為せばなる
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子2年越しの米価高騰。新米が収穫されれば下がると言われたのに、米価グラフは上がりきったまま。何か違うと誰もが感じる。複雑怪奇な流通システムを得々と解説されても「なるほどね。でも、1年前までは毎年5キロ2千円で買えたのに、今年はなぜ?」という疑問には、誰も答えてくれないままに始まった備蓄米放出。
さあ、これでグラフも右下がりかと思ったら、待てど暮らせど一向に変わらず、米は買わない大臣には荷が重かろうとお役御免になった後、あとは任せろと登場した若い大臣。
私が2千円にしますと、新任大臣の大言壮語かと思ったが、これでどうだと奇手を繰り出して、ほんとに実現してしまった。さすがあの人の息子、よくやったと讃える声も上がるだろう。とにかく、言ったことは果たしたのだから、立派だ。拍手を一つ送りたい。一件落着なのだが、万事解決ではないから、万雷の拍手とはならない。
一難去ってまた一難。難問山積の状態が改めて知られたから、この後どうするの?に答えなければならないが、それが出来ないからこれまでも誰も手をつけられなかったのだろう。
誰が指揮を執っても周囲全てを敵に回して戦う覚悟がなければ、嘲笑を背に立ち去ることになるから、期待に応えてくれるリーダーの出現は望み薄なのだが、今回の狂騒檄で明らかになったことは「やれば出来る」ということ。随意契約での備蓄米販売、既存ルートに縛られない購入者の選定。そんな考えや声は官の中にも民の中にもあったのかもしれない。
でも、誰も出来なかった。備蓄米放出が実施されても、既存の秩序に当てはめたやり方では、物は動かず、価格は変わらなかった。こうすればという考えはあっても、実行は出来なかった。なぜ? やれと言われなかったから。それが出来たのは、大臣が「責任は俺が取る。やれ!」と言ったから。兵士は自分の意志では動かない(動けない)。隊長の命令で動く。
大臣が「やる」と決め「やれ」と言ったから、部下の行政担当者は動き民間業者も動いて結果が出た。やったら出来た。そう、やれば出来るのだ。出来ないのはやらないから。やらないのは責任をとれる者が「やれ」と言われないから。「やれ」と言わないのは、責任をとれないから、責任をとる気がないから。
大臣の覚悟は任命者の覚悟。任命者に覚悟がなければ大臣の覚悟だけでは責任はとれない。5キロ2千円の米が店頭に並んだだけではことは解決しない。
これからどうする。日本の農業をどうする、貿易問題、少子化問題、年金問題、財政問題、防衛問題、等々。考えに考え、決断して「やれ!」と号令し結果責任を負う覚悟が最高権力者には求められる。
やれば出来た貴重な体験を糧に、指揮官達がそれぞれの課題解決に、覚悟を持って「やれ!」と号令する政治が常態化することを願っている。
「為せばなる。やれと言わねば誰もせぬ」
(カナダ友好協会代表)
