コラム・エッセイ
(795)記憶に残す夏
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子猛暑、酷暑、異常な、殺人的、犯罪的、いくらつけても足りない暑さの中で8月を迎えた。
順番通りならこれからが夏本番だから、一体どこまで暑くなるのか、迎える覚悟を整えるにも気が萎える。60年、いや、もうちょっと前だったか、大阪の友人からの暑中見舞いに「38・4℃と言うんですから、いやになっちゃいますね」とあって、その頃住んでいた四国の町では34度くらいで「こちらも暑いけど、それは大変ね」と思ったのを毎年思い出す。もっともそれも愕然とし、恐怖を覚えるほどの暑さとは受け取っていなかった。
当時でも日本の最高気温は30年以上前の山形市の40.9℃と教えられていて、雪深い山形でもこんな夏があるのだから、大変だろうけど、驚くほどではないと軽い気持ちで葉書を見ていた。それがこのところ、40度超えが当たり前のようにあちこちで記録され、とうとう北海道でも40度近くが報道された。桜前線ならぬ各地を連ねた40度線が次第に迫ってきて、灼熱地獄に放り込まれる日が想像でなく現実に迫っているのを感じて空恐ろしい。
そんな夏が異常でなく日常になれば、日々の過ごし方も働き方もよほど変わってきて、灼熱時代の夏の生活様式が出来上がっていくのだろうが、その頃には38度を大変ねと感じた夏は誰の記憶からも消えていて、40度が平常な夏の感覚が出来上がっているのだろう。
気温40度が異常でなく平常になった夏を過ごすのに、しのぎやすかった夏の記憶は役に立たないし、生まれて以来酷暑の夏を過ごして来た人にはそんな夏の記憶は意味も必要もなくなっていき、古い記憶の持ち主がいなくなれば、何年何月、当地の気温〇℃の記録ばかりが残ることになる。
記憶は、記憶を持っている人とその記憶を必要とする人がいなくなればやがて消え去っていく。数百万年の人間の営みの中で、多くの記憶が生まれた。そのうち必要なものは継承され記録されて文化と歴史を作り、多くは忘れられ、消え去っていった。
人の脳の容量がいかに大きくとも人類の経験を全ていつでも思い出せるように記憶にとどめておくことは不可能で、記録に残しておくことしか出来ないこともある。
しかしこの夏、この8月、日本人には記録に残すだけでなく、記憶に残し、決して忘れてはいけない大切な日がある。80年前広島に原爆が投下された8月6日、長崎に投下された8月9日、そして第2次大戦に敗北し、ポツダム宣言を受諾した8月15日。何が起こったか、なぜ起こったか、そしてどうなったか、国全体の記憶として保ち続け、二度と起こらぬ、起こさぬために何が必要かを考えるときに誰もがすぐ思い出せるようにしておくこと。
記憶に残る体験もなく、不都合な記録からは目を背け、自分の思い中心に国を動かそうとする為政者の行動を正しく牽制できるよう、80年前の8月のこの国の記憶を一人一人が自分の記憶として毎年記憶に重ねていって欲しいと願う。
(カナダ友好協会代表)


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