コラム・エッセイ
おなかまるまる
新しい出会いに向けて-この町・あの人・この話- 浅海道子20数年前中学生の頃から我が家の学習教室に集っていたSさん。今は小学校の先生になって生徒達を見守り慕われ、新任先生の指導をしながら教壇に立っている。
我が家の生徒時代から言葉・振る舞いが爽やかで正義感に満ち、人見知り無く思いやりがあり、いつまでも近くに置いておきたいと思わせる子だった。やがて巣立ち、地元を離れてからも帰省の度に時には両親の待つ実家よりも先に我が家に立ち寄り、思い出話や近況報告などでしばし過ごすなど、家族同然のつながりを続けていた。
思い悩みの相談にも、半世紀も前の自分の体験を交えながら答えるうち、縁あって勤務地で嫁ぎ、2人仲良し家庭を築いていたが、なかなかに家族が増えないままの年が重なり、ご両親の気持ちを肩代わりするように気を揉んでいたが、2人の世界は2人のもので、親しくてもここは受け身が一番と、気持ちばかり膨らませながらそこには敢えて触れず、見守っていた。
縁が結ばれてからの里帰りにはいつも2人で顔を見せてくれ、そのたびにいつもそのことは気になっていたが、そんな話題が必要ないほどに話が弾み時を過ごすのが常で、共に小学校教師の2人には毎日大家族で過ごしている思いなのだろうと勝手に納得したりしていた。
そんな今年の、春先だったか、たまたまの電話の中で最近の体調変化のひと言に接し「それ、もしかしたら…じゃないの」と切り出し「分かったら知らせてね」と告げたが、その後一向にお返事がない。
Sさん、元々一風変わったところがあり、顔を合わせているときは話の種は豊富で、とどまるところがないほど広がり尽きないのだが、通信にはほとんど反応しない。こちらからの電話はまずつながらず、友達登録しているラインメールを送っても既読にならないまま数カ月が過ぎる。返事が欲しくてやきもきするが、こちらの筋書き通りでなかったら本人を気まずくさせてしまうばかりだからと、はやる気持ちをぐっと押えていた。
人付き合いの反応は弔事には素早く、慶事なら少し遅くなってもいいと言われているから、喜びの交歓は知らせがあってからでいいよねと、返事を待つ気持ちを鎮めていた。それが、時は過ぎ酷暑の中にも時に秋の気配の涼風が訪れるこの月、一通のラインメールが画像付きで届いた。
1枚目は誕生予定日を知らせる産院からのメッセージカード。もう1枚は「おなかまるまるです」のタイトルが付いた、新しい命の宿った大きなおなか丸出しのご本人の姿。正にサプライズ、やはりそうだったのか。 半年以上も知らせがなかったのは忙しかったのだろうと思いながらも、Sさんなら私たちへのサプライズインパクトをこんな風に演出するかもと想像した。あとふた月、風邪もコロナも近づけず、転ぶことなく無事過ごし、新しい家族を加えたSさんを祝うサプライズ企画を後期高齢の脳細胞を絞って考えている。
(カナダ友好協会代表)