コラム・エッセイ
No.893 『橋本誠士 三途の川の釣り大会へ!』
伊藤博之の釣れ釣れ談議11月21日14時ころだったと思います。事務所にいたら携帯電話が鳴り、第一声が「伊藤さん!誠ちゃんが亡くなった」でした。「うそー、元気になっていたじゃ」と返しますが何か狐につままれた感じ…!
2カ月ぐらい前、街で出会い「元気!」と声をかけ「スマートになり男前になったじゃ」と言うと「胃ガンの手術の時に胃を全摘しているので食べれん」と話してくれました。自分の知人でやはり胃ガンで全摘し、胃を大きくするために毎日主食をバナナにしたと聞いたことがあったのでそれを話し「元気そうじゃから100歳まで大丈夫」「またね」と別れました。
誠ちゃんとの出会いはもう半世紀以上前になります。自分が20代後半で誠ちゃんは8歳上なので30代後半でした。双方が釣りの魅力に取りつかれ始めたころで、釣りが取り持つ縁でした。そのころはチヌ(黒鯛)が釣りたくて、どこで釣れた、餌は!仕掛けは!の話ばかりでした。釣りクラブを立ち上げようという話になり、2人で釣り好きに声をかけ、立ち上げることとなりました。昭和46年8月のことでした。自分の長男が7月に生まれたので、徳山若潮会の発会は50年過ぎても記憶に残っています。
徳山若潮会のチャーターメンバーは13人で発会会場は誠ちゃん家の応接間でした。まず会長は誰にとなり、1番若かった自分に白羽の矢が。誠ちゃんが事務局長なら受けましょうで決定しました。
メンバーには山本プロセスの山本国夫さん(当時は桜木町の自宅が仕事場で、よく仕事をさぼって釣り談義におじゃましていました)、月丘町の坂本理髪店の坂本さん、亡くなられたフレンド工房の広実さん、不動産と結婚相談所をされていた木村さん、徳山市役所勤務の白井さん、誠ちゃんの奥さんの兄の真鍋さん、あと5人は記憶の箱から出てきません。ごめんなさい。
釣りクラブの運営も誠ちゃんと2人で手さぐりでした。そのころ山口県でも有名で大きかった徳山磯釣クラブの方々に教えていただきながら釣り大会や月に1度例会を開いていました。徳山若潮会の第1回の釣り大会は徳山湾で対象魚はチヌ、タナゴ、アイナメだったと思います。
自分と誠ちゃんの釣りバカが少しずつ広がったのか、会員さんも少しずつ増えました。徳山若潮会を立ち上げて2年目くらいに広実さんの紹介で山口放送のラジオで週1回、釣り情報を始めました。この番組が30年も続くとは思ってもいませんでした。
徳山若潮会は会員も増え最盛期には56人にもなり、周南地区で1番大きな釣りクラブになりました。事務局の誠ちゃんのお陰です。徳山市議会議員に出ると相談を受けた時、女房役で支えてくれた誠ちゃんに選挙では自分が女房役になろうと決め、山口県磯釣連合会会員800人が同意の上に一丸となって徳山市議会議員、橋本誠士を送り出すことができました。
そして釣り界もバトンタッチ。世話好きな誠ちゃんは政治の世界へ、自分は周南市の飲食と観光の世界へ。徳山若潮会は現役で4代目が頑張っています。自分と誠ちゃんの釣り人生の宝物です。
(県磯釣連合会最高顧問)
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