コラム・エッセイ
No.850 『1,000回を目指して 元気一番!』
伊藤博之の釣れ釣れ談議2019年、802回で始まった釣れ釣れ談義は今回の850回が今年最後の投稿となります。12月18日、今年48回目のこの原稿を書き始めています。1年間で毎年50回前後投稿していますので、17年になります。
日刊新周南が創刊されて2年が過ぎたころだったと思います。当時は本社が岐陽中学校を下がった辻町の近くにありました。釣り情報の原稿を、そのころは週1回、事務所まで持参していました。釣り情報を中心に釣りの仕掛け、エサ、釣り方、魚の旬、魚の料理などなど、魚釣りを中心にした色々な雑文を書いていました。
ちょうどそのころ、山口放送のラジオで週1回「伊藤博之の釣りつれづれ」という番組を担当していて10分くらい釣り、魚、料理などなどマイクの前でおしゃべりしていました。またそのおしゃべりを日刊新周南に書いていましたね。
投稿を始めて2年ぐらいして山口放送のお昼の番組「ナマナマ55分」の中で、月1回釣りと料理を合わせた「釣りごろ、食べごろ」という番組コーナーがスタート。釣りは自分が担当で、釣ったお魚の料理は日本料理「藤吉」が担当でした。旬の魚を狙って遠くまで釣行しました。今は多くの釣り番組がありますが、35年前には釣り番組がなく、釣った魚を料理する番組もありませんでした。それを合わせた「釣りごろ、食べごろ」はテレビ番組としては画期的でした。その「ナマナマ55分」という番組の総監督が山口放送の岩田幸雄会長でした。
また日本の景気は大変良好で毎年右肩上がり。会社も出店、出店で忙しくなり、日刊新周南への第1回目の投稿は3年くらいで中止させていただきました。山口放送のテレビ出演は10年、ラジオは30年出演させていただきました。きらら博があった平成13年、ドームでのラジオ生出演も思い出です。
ちょうどこのころ、平成13年か14年ころから日刊新周南への2回目の投稿が始まりました。また漫画の「釣りバカ日誌」が大当たり。映画にもなりました。自分も「釣りバカ博ちゃん」と、漫画を地でやっていました。原稿も釣りの釣行記が多かったように思います。その中で釣り場の紹介、仕掛け、エサや撒き餌、旬の魚、釣った魚の料理などの話を釣りバカ丸出しで書いていたように思います。
あのころは遠征釣行が多かったです。男女群島にはよく通いました。1年に16回行った年もありました。テレビの「釣りごろ、食べごろ」でも1度、撮影で行きましたね。また船釣りで種子島、屋久島へも通いました。
平成17年、女房にガンが見つかり、自分の一番好きな釣りを断って願をかけたのですが、平成22年、帰らぬ人になりました。釣り竿を持たないのですから、釣りと離れ、釣りの原稿が書けなくなり、これで「釣れ釣れ談義」は終わりにしようと思い、中島社長に相談。題は何でもいいからと言われ、今に至っています。本当に素人の駄文を投稿、読んでいただく方々に心よりお礼申し上げます。
あと150回で1,000回となります。もう3年、健康に留意して頑張ります。よろしく!
(県磯釣連合会最高顧問)
