コラム・エッセイ
No.939 『久し振りの見島コロナ禍の小休止!』
伊藤博之の釣れ釣れ談議久し振りの見島への釣行です。楽釣会恒例の見島での船釣り大会は春と秋に開いています。もう20年以上になりますかね。
自分が見島に通い始めて40年近くなると思います。6月、7月のイサキ釣りで釣行したのが最初でした。1人100匹以上良型のイサキが釣れていましたね。当初は胴付き仕掛けの釣りでした。ハリスの先に錘のついた撒き餌カゴをつけハリスには枝鉤が5、6本つけてある仕掛けです。餌は赤エビのムキ身を砂糖でしめて使っていました。40センチ近いイサキが入れ食いとなるのではまりましたね。当時の撒き餌は地アミでした。ところが海の魚の釣り方や釣れる魚が変わったのは沖アミの出現です。
自分が磯釣りで四国や九州へ通い始めて2、3年経った昭和40年代後半の頃です。グレ(メジナ)釣りにのぼせて遠征していた頃ですから40年くらい前ですかね。渡船で同乗していた九州の釣り人が持参していた餌が北洋エビと呼んでいた沖アミでした。
その頃冷凍の湖産エビを使っていた自分たちのクーラーは空に近かったのですが、北洋エビ持参の釣り人のクーラーは満タンでした。それで北洋エビをいろいろと探すのですが、1年くらい入手の仕方がわかりませんでした。しかし自分が思っていた北洋エビが沖アミと知り、四国の釣具店で販売されるようになりました。
釣り餌が湖産エビから沖アミに変わると磯釣りで大型の真鯛やヒラマサ、ブリの青物も釣れるようになり、昭和50年代に入ると磯釣りが大ブームとなりました。
山口放送のお昼の番組「ナマナマ55分」の中の「釣り頃、食べ頃」という釣りコーナーに月に1回出演していました。10年近く続いたと思います。ラジオも「釣りつれづれ」という週1回5分くらいのコーナーに出演していました。ラジオは28歳の頃から30年続きましたね。
話が少しそれましたが釣り界は沖アミの出現で釣り人口は増え、釣りの仕掛けも変わり、釣れる魚種も大きさも変わり、帰る時のクーラーの重さが大きく違い始めました。
見島の釣りも変わりました。1メートルもある大型のウキ、道糸につけた大型テンビンに錘のついた撒き餌カゴをつけテンビンの先に3本釣りの10メートルもある長い仕掛けを取りつけます。ハリスは8号から12号で3本のハリに沖アミをつけてハリスを投入。流れに乗ったら撒き餌カゴに沖アミの入ったテンビンを投入、ウキ下で1メートルの棒ウキが立ったら竿を大きくしゃくり撒き餌カゴの中の沖アミを出します。何10メートルか流れたところで棒ウキが海中へ消えると当たりです。このウキ流し釣りに沖アミのボイルが今は見島での船釣りの主流です。リールも電動で楽しく楽に釣りを楽しむ。これが我が「楽釣会」のモットーです。
当日はヒラマサ7本真鯛10枚イサキ2枚シイラ2本の釣果でした。コロナ禍の小休止でした!
(県磯釣連合会最高顧問)
