コラム・エッセイ
『一千回これにて完了、ありがとう!』
伊藤博之の釣れ釣れ談議過ぎし日の早さになんとなく寂しさを感じて、今、釣れ釣れ談義の一千回を書いています。
新周南新聞が創刊されて2〜3年過ぎたころ、40年くらい前かな!徳山、下松、光の周南地区を主とした釣り情報を書き始めたのが最初でした。当時の事務所は岐陽中から少し南側に下りた2号線の近くにあったと思います。我が家にファクスがなかったものですから週1回原稿を届けていました。現在は手書きの原稿を事務所のファクスで送っています。アナログ人間でデジタルの便利な道具などはさっぱりでございます。
自分が28歳ころの半世紀前、山口放送で釣り情報や釣りのあれこれを話す「伊藤博之の釣りつれづれ」というコーナーを持っていて週1回、山口放送に行って10分くらいスタジオで話していました。ラジオは30年くらい続けましたね。新周南新聞への投稿はこのラジオが縁だったと思います。
投稿して1年目ころに山口放送のお昼の番組「ナマナマ55分」の中で月1回釣りと料理を合わせた「釣りごろ食べごろ」というコーナーがスタートし、釣りは自分が担当、料理は日本料理「藤吉」の担当でした。今思えば画期的な番組でした。釣り番組のなかった時代、釣りと料理を合わせた番組は山口放送が日本で最初に制作した番組だったと思います。
現在はいろいろなスタイルの釣り番組が各局で制作されています。この「釣りごろ食べごろ」は10年続きました。ラジオが週1回、テレビが月1回、それと日本はバブル時代の好景気で会社の出店に追われ大変忙しく、とうとう日刊新周南の「釣り情報」を3年ほどで終了しました。
バブルがはじけた平成13年ころ、中島社長のお誘いでなんとなくペンを走らせたのが2回目の投稿でした。当時は釣行記が多かったですね。近くは萩沖の見島、遠くは種子島、屋久島、奄美大島、トカラ列島などを舟をチャーターして大物釣り、磯釣りでは男女群島によく通いました。60センチ級のグレも最長は66センチでしたが30枚以上釣りました。
男女群島への瀬渡しが始まって初期のころの原稿はまさに「釣りバカ博ちゃん釣行記」でした。ところが平成17年、女房にガンがみつかり願掛けに自分の大好きな釣りを封印です。釣り道具部屋には鍵を掛けました。しかしご利益はなく平成22年8月20日永眠しました。
5年間、釣りを離れていたのでネタもなくなり、釣りの原稿が書けなくなって「釣れ釣れ談義」は終わりにしようと思い中島社長に相談すると「題は何でも良いから」と言われ「釣れ釣れ」ではなく「徒然(つれづれ)」でどうにか書いてきての一千回です。
1年にだいたい45回投稿して22年少々、1回目が3年ぐらいですから25年間「伊藤博之の釣れ釣れ談義」は日刊新周南に掲載されました。下手な原稿を読んで下さった方々に深く感謝します。一千回を持ってお・わ・り・とさせていただきます。ありがとうございました。
(県磯釣連合会最高顧問)
