コラム・エッセイ
No.2 ウンカ②
中須里山通信 形岡 瑛年が明けて「ことしはウンカはどうじゃろうか」というのが挨拶になっている。
今年度のJA「水稲肥料・農薬予約品目解説書」では早速新しいウンカ防除の農薬が示されている。
だが、農家の間では「もう薬が効かんようなっちょる」という話がしょっちゅう出るのだ。
昨年秋、稲刈りをしている最中に通りがかりの作業服姿の男性が白の軽四ワゴンを道路の真ん中に止めて近寄ってきた。
「ウンカはどうでぇ」と親しげな口ぶりだが、知らない人だった。
「うちはやられてないよ。じゃが、どうも穂の姿がようない…」と言うと、
「いやぁ、イネが立っちょるから。八代でもここでもイネが立っちょるとこらぁありゃせん」
車の会社名を見ると下関の方だった。いまから八代に向かっていくようだ。
「八代がひどかったけえの、皆言いよるで、中国で強い薬を撒くけぇ薬が効かんようになっちょるのいや」
中国の人の責任にするのはよくないが、病原菌でも化学薬品を使えば耐性菌が出てきて効かなくなる。人間は新しい薬をつくるが、また効かなくなる、と云う悪循環に陥っている。ウンカは1シーズンに3世代生まれるから、遺伝子の変化も早い。農薬とウンカなど害虫とのイタチごっこには果てがない。
ウンカはイネにだけ付く虫である。イネとは切っても切れない。
日本でのウンカ被害の最大のものは1732年(享保17年)の大発生であった。
「ウンカの大発生は山陽、南海、西海、畿内、北陸、陸奥にまたがる34カ国46藩に及び、九州の諸般で平年作の一割七分、最も甚だしかった藩では一割以下の収穫しかなかったという。このため餓死者は96万人も達し、九州地方だけでも数十万人が飢え死にしたと伝えられている。」(*)
徳川時代のウンカ防除は、鯨油を撒いてウンカをたたき落とすという方法が行われていた。現代のような化学農薬が広く普及したのは戦後、占領軍によるDDTの使用からである。
*桐谷圭治・中筋房夫『害虫とたたかう 防除から管理へ』(NHKブックス1977年)15p
「イネが立っちょる」あきらの田んぼ(2020年11月6日中須南朴)
